375. 第5回/8回 家の祀りと神棚 ― 日常に置かれた“もう一つの神社”(ハーンが見た日本、わたしが生きる日本)

家の中にある小さな祈りの場

自分の家にも神棚があります。
特別に大きなものではありませんが、家の中に小さな祈りの場があることで、どこか気持ちが整うように感じることがあります。
朝に手を合わせるときもあれば、夜に一日を振り返るような気持ちで向き合うこともあります。
習慣というほど意識していないのに、自然と体が向いているような感覚もあります。

職場にある神棚という存在

実は自分の職場にも神棚があります。
毎月一日には、皆で手を合わせる時間があります。
宗教行事というより、大いなるものに委ねるような時間に近いのかもしれません。
仕事の節目に、気持ちをそろえるような意味合いも感じています。

ハーンが見た家庭の中の信仰

ハーンは、日本の家庭の中に自然に溶け込んでいる信仰の姿に、深い関心を寄せていたようです。
神社や寺だけでなく、家の中にも祈りの場があることに、日本独特の感覚を見ていたのだと思います。
神は特別な場所にだけ宿るのではなく、日々の暮らしのすぐそばにある存在として描かれていました。

神棚があることで生まれる感覚

神棚に向かって手を合わせるとき、お願いごとばかりをするわけではありません。
今日も無事に過ごせたことへの感謝や、これから始まる一日への小さな覚悟のようなものが、自然と心に浮かびます。
神棚は、自分にとって気持ちのスイッチを切り替える場所にもなっているように感じます。

家と外をつなぐ祈り

家の中にある神棚は、外の神社と切り離された存在ではないようにも思えます。
参拝に行った空気や、境内で感じた静けさが、家の中にもゆるやかにつながっているような感覚があります。
祈りは、場所を移動しながらも、同じ流れの中にあるのかもしれません。

日常の中に溶け込む信仰

神棚があることで、日常が特別になるわけではありません。
けれども、日常の中に、ほんの少しだけ「整える時間」が組み込まれているようにも感じます。
それは大げさな信仰ではなく、暮らしの中に自然と置かれた“間”のような存在なのかもしれません。

ハーンのまなざしと、今の自分

ハーンが見つめた日本の家庭の祈りの風景は、今も大きくは変わっていないように思えます。
神棚に向かうとき、百年以上前にハーンが見たであろう光景と、今の自分の暮らしが、静かにつながっているようにも感じられます。
信仰とは、特別なものではなく、日々の生活の中で育まれていくものなのかもしれません。

次回予告

第6回「稲荷と眞名井の滝 ― 祠が移され、狐火が語られる夜」。
眞名井神社に残る稲荷の話と、宮司さんからうかがった狐火の話を、ハーンの怪談世界と重ねて綴っていきます。

書籍名:Glimpses of Unfamiliar Japan(1894, Lafcadio Hearn)
引用章:Chapter II “At a Shinto Shrine”
引用見出し:Household Gods and Daily Worship

今日も佳き日に
コーチミツル
#ハーンシリーズ #神棚 #家の祀り #職場の神棚 #日常の祈り #松江 #出雲 #ラフカディオハーン

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