昔は、筋肉は「つけよう」と思ってつくものではなかったのではないか。
最近、そんなことを考えるようになりました。
前回のブログでは、
草食のゴリラがなぜ筋骨隆々なのか、という視点から、
食べ方やカラダの使い方について考えてみました。
今回はそこから少し視点を広げて、
人間にとっての筋肉の意味の変化について、
静かに整理してみたいと思います。
筋肉は「必要だった」から付いていた時代
江戸時代をはじめ、近代以前の社会では、
カラダを使う仕事が生活の中心だったと考えられています。
- 火事に立ち向かう町火消
- 高所で作業する鳶(とび)
- 長距離を走る飛脚(ひきゃく)
- 重い荷物を運ぶ人足
こうした仕事は、
体力や筋力がなければ成り立たなかったでしょう。
筋肉は、
見せるためでも、整えるためでもなく、
生きるため、働くために自然と備わっていったもの
だったのではないかと感じます。
鍛えるというより、
使われ続けた結果として、カラダが応えていた。
そんな時代だったのかもしれません。
今は、力勝負ではない仕事が増えてきました
現代では、
力の強さがそのまま仕事の価値になる場面は、
以前よりも少なくなってきているように感じます。
- パソコンに向かう時間が増え
- 移動は乗り物が担い
- 重いものは機械が運ぶ
多くの場面で、
筋肉は「なくても困らないもの」になってきました。
その結果、
筋肉は自然についていくものから、
意識して選ぶものへと変わってきたように思います。
それでも、人は筋トレをやめなかった
興味深いのは、
筋肉が「必須」でなくなったにもかかわらず、
筋トレをする人は減らなかった、
自分も含めてむしろ増えているように見えることです。
その理由は、
単に強くなりたいからではなく、
- 体調を整えたい
- 姿勢を保ちたい
- 見た目を整えたい
- 自分の体感覚を取り戻したい
そんな思いが、
筋トレに向かわせているのではないかと感じます。
筋トレは「勝つため」から「整えるため」へ
かつての筋肉は、
誰かと力を比べ、
仕事をこなし、
生き残るためのものでした。
今の筋トレは、
誰かに勝つためというよりも、
自分と折り合いをつけるための行為に
近づいてきているように思います。
カラダを動かすことで、
- 呼吸が深くなり
- 気持ちが落ち着き
- 自分の状態に気づける
筋トレは、
カラダを通して自分を整える時間に
なってきているのかもしれません。
ゴリラは「目的」を知らずにカラダを使っている
前回のブログで触れたゴリラは、
筋肉をつけようとして木に登ったり枝を引いているわけではありません。
ただ、生きるためにカラダを使っている。
その結果として、筋肉が育っている。
人間は、
その「結果だけ」を切り出して、
ジムという場所で再現しようとしているとも言えそうです。
選んでつくる筋肉だからこそ
筋肉が「選べるもの」になった今、
大切なのは、
- どれくらい大きいか
- どれくらい強いか
よりも、
- 自分の生活に合っているか
- 続けられるか
- 心とカラダが無理をしていないか
なのではないでしょうか。
おわりに
筋肉は、
必要だからついていた時代から、
自分を整えるために、選んでつくる時代へ
移ってきているように感じます。
どちらが正しいという話ではなく、
時代とともに、
筋肉の意味が静かに変わってきただけなのかもしれません。
今、あなたは何のためにカラダを動かしている(動かしていない)のでしょうか。

この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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