前回、華道の言葉として伝えられている
「切った花は死んだ花ではない。生き方を変えた花である」
という言葉に、心が強く動きました。
そして、調べていくうちに、こんなふうにも感じるようになりました。
この言葉は、花の話であると同時に、人の話でもあるのではないか、と。
自分自身の生き方を振り返ってみると
自分は以前、広島で勤務していました。
単身赴任で仕事も多忙ではありましたが、充実しており、生活も整っていたと思います。
けれど、親が高齢になり、歩くのが難しくなり地元に戻る選択をしました。
今振り返ると、それは生き方を変える決断だったように思います。
介護は、一人で抱えるものではありませんでした
両親の介護は、自分一人で何とかした、というものではありません。
専門の方々の力を借り、家族とも協力しながら、支えていく形でした。
医療や介護の現場で日々関わってくださった方々の存在は、とても大きなものでしたし、家族との役割分担があったからこそ、続けていくことができたように思います。
「支える」というより、支え合いながら過ごした時間だったのかもしれません。
両親の最期を、見届けることができました
10年と少しでしたが、多くの方の手を借りながら、家族で関わりながら、両親の最期をそばで見届けることができました。父は施設でしたが、母は病院で、自分の手を握りながら穏やかに旅立ちました。
特別なことではないのかもしれません。
けれど、皆ができることでもなかった。
そんな時間だったように感じています。
華道の言葉が、人生と重なった瞬間
切られた花が、場所を変え、役割を変え、最後まで咲ききる。
その姿が、自分の選んだ生き方とどこか重なって見えました。
生き方を変えるとは、別の場所で途中で終わることではなく、
別の場所で、
多くの人に支えられながら、
最後まで生ききること
なのかもしれません。
見届けるという行為
仏壇の花を、枯れるまで見届ける。
両親の人生の最期を、専門の方や家族とともに見届ける。
大きさは違っても、どこか似た感覚があるように思います。
人の都合で、関係を途中で断たない。
最後まで、関わり続ける。
関わったからには、そこに責任が少なからずある。
華道は、人生の比喩なのかもしれません
自分は、華道を習ったことはありませんが、今回の学びを通じ、華道は、美しく飾るための技法というより、
生き方そのものを映しているようにも感じられました。
今は、そんなふうに受け取っています。
最後に
生き方を変えるということは、咲く場所を選び直すことではなく、
咲ききる覚悟を、
一人ではなく、
関係の中で引き受けること
なのかもしれません。
仏壇の花を扱う自分の手と、あのとき下した決断は、どこかで、静かにつながっている。
そんな気がしています。
あなたは、
自分の生き方を
誰と、どこで、どう咲かせていますか。
今日も佳き日に
コーチミツル

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