420.初めての糠床(ぬかどこ)づくり(無料の米ぬかと、しょっぱいだけの今と)

初めて、糠床を仕込みました。

ずっと気にはなっていたものの、
「難しそう」「手間がかかりそう」
そんなイメージが先に立ち、なかなか手が出ずにいました。

でも今回は、
とてもシンプルなレシピに背中を押されて、
思い切って始めてみることにしました。


米ぬかは、精米機の横で無料

使った米ぬかは、
精米機の横に置いてある、
ご自由にどうぞ のぬか。

改めて考えると、
これは本当にすごいことだと思います。

玄米だったら、
本来はそのまま食べられる部分。

それが、
精米するというだけで
無料で手に入る。

日本の米文化と、
循環の感覚が、
詰まっているように感じました。


レシピはシンプル、感覚は人間的

材料は、
米ぬか、塩、水、昆布、唐辛子。

塩は米ぬかの13%。
水は少しずつ足しながら、
「耳たぶくらいの硬さ」を目安にしました。

この「耳たぶくらい」という表現が、
妙にしっくりきます。

数値で管理するというより、
自分の感覚を信じる

糠床づくりは、
そんな世界への入り口のように感じました。


捨て野菜、のはずが…

捨て野菜として入れている大根の切れ端。

今日も、ぬか床を混ぜながら、
「どんな感じかな」と、
つい、つまみ食いしてみました。

……正直なところ、
まだまだ しょっぱいだけ

発酵の香りも、
旨みも、
「おいしい」と言える段階ではありません。

でも、不思議とがっかりはしませんでした。


これは失敗ではなく、「今の状態」

糠床は、
いきなり完成するものではありません。

今はまだ、
塩が前に出ている時期。
菌たちが、
これから居場所をつくっていく途中。

しょっぱいというのは、
何も起きていない証拠ではなく、
これから変わる余地がある というサイン。

そう思うと、
この味も、今しか味わえないものに思えてきました。


実は、以前一度ダメにしています

実は以前、
無印良品で売っていたぬか床を
一度やってみたことがあります。

そのときは、
冷蔵庫に入れたまま、
すっかり忘れてしまいました。

気づいたときには、
もう手遅れ。

便利なはずの方法が、
逆に距離をつくってしまったのだと思います。


今回は、毎日混ぜている

今回は、
当分、常温で、
毎日混ぜています。

忘れることもなく、
手を入れるたびに
少しずつ愛着が湧いてくる。

糠床は、
放っておくとダメになるけれど、
関わり続けると応えてくれる。

そんな存在なのかもしれません。


毎日混ぜる、それだけのこと

今日も、特別なことはしていません。

混ぜて
空気を入れ替えて
匂いを確かめて
表面をならす

それだけです。

でも、この「それだけ」を
毎日続けていると、
不思議と気持ちが整っていきます。


もしかしたら、人を育てることにも似ているのかもしれない

あるとき、ふと思いました。

糠床を育てることは、
人を育てることにも
どこか似ているのではないか、と。

急がないこと。
手を入れすぎないこと。
でも、放っておかないこと。

今はまだ「しょっぱいだけ」でも、
その時期が必要で、
やがて変わっていく。

相手のタイミングを信じて、
ただ関わり続ける。

糠床を混ぜながら、
そんなことを考えていました。


糠床は、育てる時間そのもの

うまくいくかどうかは、
正直まだ分かりません。

でも、
混ぜて
感じて
待つ

この時間そのものが、
すでに豊かさなのだと思います。

無料の米ぬかから始まった糠床が、
これからどんな味に育つのか。

その変化ごと、
楽しんでいこうと思います。


この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・

今日も佳き日に
コーチミツル

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