370.冬至の祈りと、続いているということ(一番夜が長い日から、また光へ向かうとき)

本日12月22日、冬至。
一年でいちばん夜が長い日です。
そしてこのブログは、冬至の時間・0時03分に公開しています。

闇がいちばん深まる日であり、同時に、ここから少しずつ「光の時間」が伸びていく日。
今日はこの「冬至」という時間そのものについて、そして、自分の中で続いている時間について、書いてみようと思います。


伊勢神宮における冬至

――太陽を迎える、日本の祈り

日本において、冬至と深く結びついている場所のひとつが**伊勢神宮(内宮・外宮)**です。

伊勢神宮では、冬至の朝、内宮の御正殿に向かって太陽が昇る方角が、特別な意味を持つと伝えられています。

太陽はこの日、一年でいちばん南寄りの位置から昇り、そこから再び、少しずつ北へ戻っていきます。

それは、天照大御神の御神徳が、再び世に満ちていく象徴とも受け取られてきました。

派手な祭りがあるわけでもなく、人知れず、静かに太陽を迎える冬至の伊勢。
そこには、

「また、ここから始まる」
「また、光は戻ってくる」

そんな確かな静けさがあるように感じます。


世界で迎えられてきた、具体的な冬至の風景

冬至は、日本だけでなく、世界各地でも「再生」と「希望」の日として大切に受け継がれてきました。


イギリス・ストーンヘンジ

――石に刻まれた、太陽の再生

イギリス南部・ウィルトシャー州にあるストーンヘンジ

巨大な石が円形に並ぶこの石碑遺跡は、冬至の朝日が、石の中央を一直線に貫くように設計されていることが分かっています。

冬至の夜明け、凍てつく草原に人々が集まり、太陽が再び力を取り戻す瞬間を、静かに待つ。

五千年以上前の人々も、同じように空を見上げながら、「光は必ず戻る」と信じていたのかもしれません。


ペルー・マチュピチュ

――太陽をつなぎとめる石「インティワタナ」

南米ペルー、アンデス山脈の天空都市マチュピチュには、**インティワタナ(太陽をつなぎとめる石)**と
呼ばれる石碑があります。

インカの人々は、冬至になると太陽の力が弱まり、世界の均衡が崩れると考えていました。

そこで冬至の日、太陽がこの石の上に「留まる」ように祈り、再び力を取り戻す儀式を行っていたと伝えられています。

石につながれたのは、太陽そのものではなく、人々の未来への安心だったのかもしれません。


北欧・スウェーデン「ルチア祭」

――闇の国に灯る、白い光の行列

北欧スウェーデンでは、冬至の頃に**「ルチア祭」**という光の祭りが行われます。

白い衣装をまとった少女たちが、頭にろうそくの冠をのせ、暗い冬の町を静かに歩きながら、光を運びます。

長く厳しい闇の季節の中で、人々はただ太陽を待つのではなく、自分たちの手で光を生み出すという祈りを
受け継いできました。


去年の冬至に、ひとつの祈りを立てた

実はこのブログは、去年https://coach-mitsuru.com/archives/509の冬至の日に始まりました。

その日に、自分はひとつの小さな祈りを立てました。

「毎日、ブログを書いてみよう」

大きな目標でも、はっきりした見込みがあったわけでもありません。
ただ、これから光が少しずつ伸びていくその節目に、自分も何かを続けてみたいと思った。
それだけでした。


その祈りは、今日まで途切れず続いている

あれから一年。
ブログは、一日も欠かさず、今日まで続いています。

途中、母が亡くなるという出来事がありました。
正直、「もう書けないかもしれない」と思った日もあります。

それでも、不思議と、書くことだけは止まりませんでした。

そして実は今、来年の2週分まで、すでにブログは完成しています。

これは計画性というよりも、「続いていく流れ」そのものが、すでに自分の中に根づいている、
そんな感覚に近いものです。


冬至の祈りは、通じているのかもしれない

もちろん、「冬至に願ったから続いている」と証明できるわけではありません。

それでも、こうも感じています。

もしかすると、あの日に立てた小さな祈りは、今も静かに、通じ続けているのかもしれない。

闇がもっとも深いところから、また少しずつ光が伸びていくように。
自分の「続けたい」という気持ちも、一年かけて、少しずつ、確実に育ってきました。


冬至に願うといいこと

冬至は、「何かを一気に叶えてもらう日」ではなく、これから向かう方向を、そっと定める日
なのかもしれません。

この日に似合う願いは、こんな祈りだと思います。

・一気に変わらなくていい
・ただ、少しずつ光のほうへ向かいたい
・今日よりほんの少し、やさしくなれたらいい
・今日よりほんの少し、続けられたらいい

「離れない」「やめない」「続ける」そんな小さな願いで、十分なのだと思います。


去年の冬至に、
自分は、ひとつの小さな灯りをともしました。

それは「祈り」だったのか、
それとも、ただの「決意」だったのか。
今となっては、もう名前はつきません。

ただ確かなのは、
その灯りが、今日の冬至まで、
消えずに、ここに在るということ。

そして今、
来年の冬至の、さらに少し先にまで、
静かな光が、もう用意されているということ。

闇がいちばん深くなるこの日に、
光は生まれ、
願いは、声にならないまま、
次の時間へと、そっと手渡されていきます。

この冬至、あなたは、どんな小さな灯りを、胸にともしますか。

冬至は、何かを始める日ではなく、すでに積み重ねてきたものが、少しずつ“見え始める日”なのかもしれません。

今日も佳き日に
コーチミツル


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