
新嘗祭という祈りの時間
新嘗祭は、その年の収穫に感謝し、神々に新しい実りを捧げる祭りです。
自分の暮らす地域では、毎年この時期になると、神社に集い、静かに祈りの時間が流れます。
にぎやかな祭りとは違い、どこか落ち着いた空気の中で執り行われる行事です。
その静けさの中に、深い感謝の気持ちが満ちているようにも感じます。
氏子の家から供えられる献穀米
新嘗祭では、献穀米といって、今年氏子の家で実ったお米が神前に供えられます。
最近は農家の数も少なくなってきましたが、それでもこの習慣は今も大切に守られています。
一粒一粒に、家族の手仕事と一年の天候とが重なっているようにも思えます。
そのお米が神前に供えられることで、日々の暮らしと神事とが静かにつながっていくように感じます。
四社の宮司さんがそろう場
新嘗祭のときには、大庭の四社とされる神社の宮司さん方がそろい、祈りを捧げられます。
六所、かもす、八重垣、そして眞名井の宮司さんが一堂に会するその姿は、地域にとって特別な光景でもあります。
それぞれの神社が持つ歴史と役割が、ひとつの場に重なっているようにも感じられます。
祈りは個々に捧げられながらも、地域全体を包むものになっていくのかもしれません。
実りへの感謝が持つ意味
収穫に感謝するという行為は、食べ物への感謝であると同時に、自然への感謝でもあるように思います。
雨や日差し、風や気温、そのすべてが重なってこそ、実りは生まれます。
人の努力だけではどうにもならない部分があることを、新嘗祭は静かに思い出させてくれるようにも感じます。
だからこそ、感謝の気持ちが祈りという形になって表れてくるのかもしれません。
ハーンが見た日本の感謝の心
ハーンは、日本人が自然や神に対して抱く感謝の心に、深い印象を受けていたようです。
収穫を神に報告し、新しい米をまず神に捧げるという習慣は、人と自然と神とが、対等に向き合っているようにも感じられます。
所有するという感覚よりも、授かるという感覚が、そこには流れているようにも思えます。
日常と祭りが交わる場所
新嘗祭は、非日常の神事でありながら、日常の延長線上にもある行事のように感じます。
田んぼで育った稲が、やがて神前に供えられる。
そこには、日々の労働と祈りとが、一本の線でつながっているような感覚があります。
特別な一日でありながら、日常から切り離されすぎていないところに、日本の祭りの特徴があるのかもしれません。

ハーンのまなざしと、今の自分
ハーンが見た日本の収穫と感謝の風景は、今も大きくは変わらず続いているように感じます。
献穀米が供えられる様子を目にすると、百年以上前の日本と、今この場所にある風景とが、静かに重なっていくようにも思えます。
実りに感謝する心は、時代を越えて受け継がれているのかもしれません。
次回予告
第8回「仏壇と神床 ― 連続していく祈りと、受け継がれる命」。
仏壇の前の暮らしの風景と、神床への挨拶、そして命の連なりについて綴っていきます。
書籍名:Glimpses of Unfamiliar Japan(1894, Lafcadio Hearn)
関連章:農村の祭礼と収穫に関する随筆より
参照主題:Harvest Rituals and Gratitude
今日も佳き日に
コーチミツル
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