
第2回では、
譲る人が疲れてしまう構造について考えました。
今日はその一歩先へ進みます。
なぜ協力は続きにくいのか。
なぜ「みんなのため」が揺らぐのか。
そこには、人間の自然な感覚があります。
囚人のジレンマという話
囚人のジレンマという有名な思考実験があります。
二人が同時に判断を下す場面です。
協力すれば、二人とも最もよい結果になる。
でも、相手が裏切るかもしれない。
もし自分だけ協力して、相手が裏切ったら。
自分が一番損をする。
そう考えると、
自分も裏切るほうが安全に見えてきます。
その結果、
どちらも協力せず、
本来得られたはずの最善の結果から遠ざかる。
ここにあるのは、
悪意ではありません。
合理です。
合理的経済人とは
合理的経済人という考え方があります。
人は自分の利益を守ろうとする存在。
損を避けようとする存在。
それは決して冷たいことではありません。
むしろ、生きるための自然な感覚です。
自分もそうです。
大好物があれば食べたい。
損はしたくない。
不公平は避けたい。
この感覚を否定する必要はありません。
それでも協力したい理由
では、なぜ協力が必要なのか。
ここで思い出すのは、第2回の話です。
譲る人が疲れる構造は、
放っておけば続きません。
合理だけで動けば、
短期的には安定することもあります。
けれど、
長期的には信頼が削られていきます。
人は、
目先の利益だけで生きているわけではありません。
- 信頼
- 関係
- 安心
- 継続
これらもまた、自分の利益です。
合理は「短期」だけではない
ここが大切なところです。
合理的であることと、
全体を意識することは矛盾しません。
合理には、短期と長期があります。
今日だけ得をする合理。
これからも続く関係を守る合理。
どちらを選ぶかで、
社会の形は変わります。
自分の中の揺れは、正常
譲ったあとに少しもやっとする。
それは、合理的経済人としての自然な反応です。
その感覚を消してしまうと、
どこかでひずみが生まれます。
大切なのは、
合理を否定することではなく、
合理の範囲を広げること。
目の前の得だけでなく、
これからの信頼まで含めて考える。
それが、協力を続ける鍵なのだと思います。
個人の判断と、社会の構造
この構造は、
身近な場面だけの話ではありません。
小さな集まりでも、
地域でも、
もっと大きな枠組みでも、
「自分だけ得をする」合理と
「全体が続く」合理のあいだで揺れています。
自由とは、
好き勝手にすることではなく、
その揺れの中で
どう判断するかということかもしれません。
次回予告
第4回は、
海外から帰ったときに感じるあの「ほっ」という安心を手がかりに、
信頼が自由の土台になる話を書きます。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
#自由の限界 #囚人のジレンマ #合理的経済人 #協力の構造 #全体最適 #信頼と合理 #経済哲学 #コーチミツル