数日前、明け方にふとこんな言葉が浮かびました。
「自分の人生の目的って、何なんだろう?」

そのときは哲学的な問いのようにも思えて、「今さらどうしたんだ、自分」と少し笑ってしまいました。
でも、今朝は違いました。
「自分は、何のために生きているんだろう?」

この言葉が、はっきりとした声のように心に響いたのです。
前回の問いとは、何かが違っていました。
「人生の目的」と「生きる理由」は、似て非なるもの
“人生の目的”という言葉は、少し構えてしまう響きがあります。
でも“何のために生きているか”という問いは、もっと身体的で感情的。
理屈ではなく、感覚の奥からじわっとにじむような問いでした。
この問いは、もしかすると——
「今の生き方が、自分の本心とつながっているか?」
「誰のために、何のために、自分は動いているのか?」
「このまま残りの人生を、この理由で生きていけるのか?」
そんな深い確かめを、求めてきたのかもしれません。
迷っているわけじゃない。でも…
日々、コーチとして人と関わり、
自然と向き合い、音を奏で、
朝自活を通じて自分とも丁寧に向き合ってきました。
その根底にはずっと、**Well-being(よりよく生きる)**という考え方があります。
「自分も、他の人も、心地よく生きられるように」
そう思いながら歩んできたつもりでした。
でも、今朝の問いは、それを試すような感覚でした。
「本当に、それだけでいいのか?」
「それは“役割”としての生き方になっていないか?」
「“あなた自身”が生きている意味を、ちゃんと感じてる?」
答えは、まだ出せていません。
けれど、そう問いかけられたこと自体が、大切な“しるし”のように感じています。
ChatGPTくんに聞いてみたら…
この問いがなぜ今、浮かんできたのか。ChatGPTくんに分析してもらいました。
すると、こんな説明が返ってきました。
「人はある程度、自分の人生に納得しているときでも、無意識下では“再点検”が行われていることがあります。
それが、静かな朝や眠りからの目覚めに、ことばとなって浮かび上がることがあるのです。」
つまりこれは、揺らぎや不安の表れではなく、成熟した心が静かに確認しているということなのかもしれません。
「役割」と「存在」を分けて考える
これまでの自分は、コーチとして、地域の一員として、音楽仲間として…
いくつもの“役割”の中で生きてきました。
でも今朝の問いは、“存在”そのものに向いていたように感じます。
「誰の役に立つか」ではなく、
「自分が、なぜここにいるのか」——
この問いに、すぐに明確な答えは出せません。
でも、立ち止まってみた今、問いがあることそのものが生きている証だと思えています。
過去の気づきが、今を照らしてくれる
これまでにも、脳の不思議や無意識の働き、記憶や感情の奥深さについて綴ってきました。
こうした思考の積み重ねが、
「生きているとはどういうことか」を、静かに教えてくれている気がします。
資格や実績は“補助線”
これまで取得してきた資格や培ってきた経験も、
もちろん意味のあるものです。
- ICFプロフェッショナル認定コーチ(PCC)
- ファイナンシャルプランナー2級
- 終活アドバイザー など…
でも、今朝のような“自分の存在そのものに問う声”は、
そうした履歴やスキルの向こう側にある部分に語りかけている気がしました。
あなたは、何のために生きていますか?
この問いに、すぐ答えられる人は少ないかもしれません。
でも、だからこそ、問いを持ち続けることに意味があるのだと思います。
「誰かのためでも、何かの目標でもなく、
ただ“自分という存在”がここにある理由は何か?」
そんな問いに耳を澄ませる時間を、
これからも大切にしていきたいと思っています。
今日も佳き日に
コーチミツル
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