昨年の10月まで、私は「天津祝詞(あまつのりと)」という言葉すら知りませんでした。神主さんが神社で唱える祝詞(のりと)を唱えたことも、見たこともありません。
ところが、昨年人生で初めて伊勢神宮に参拝し、特に内宮では「自分のためのお願いをしてはいけない」と知り、神前で初めて天津祝詞を唱えることに。あの神聖な空気の中、響く自分の声——。
ただ、あの時は「覚えよう」と思って唱えていたわけではありません。ただただ、それから毎朝、静かに口に出すようになっただけでした。
気づけば、それから200日ほど経った今、何も見ずに自然と祝詞がすらすらと口から出てくるようになっていたのです。
なぜ「覚えるつもりがなかった」のに、こんなにも自然に頭に残っていたのでしょうか?
今回はこの経験をきっかけに、「記憶」の仕組みや科学的な背景、そして“思い出す力”を育てるヒントをまとめてみました。

覚えるつもりがなかったのに——祝詞が頭に残った理由
祝詞を覚えたのは、「勉強」や「暗記」のような努力によってではありませんでした。
自然に、気づかぬうちに染み込んでいた——この現象には記憶に関するいくつかの要素が関係していたようです。
ポイントは以下の通りです:
- 繰り返し(分散学習)
- 声に出す(生産効果)
- 感情・意味のある体験
- 体で覚える(手続き記憶)
記憶の科学:人の脳は「思い出す」ことで強くなる
心理学者エビングハウスの忘却曲線によれば、何もしなければ記憶はどんどん薄れていきますが、間隔を空けて繰り返すことで記憶は強化されることが分かっています。
さらに、**声に出すことで記憶に残りやすくなる(生産効果)**ことも研究で証明されています。
「天津祝詞」を毎日口に出して唱える行為は、記憶定着にとって理想的な方法だったのです。
祝詞はただの言葉ではなく、「祈り」と「感情」が伴う記憶
伊勢神宮で初めて祝詞を唱えた時の、あの空気、張り詰めた静けさ、背筋が伸びるような神聖な感覚。
その時の感情や意味づけは、記憶をより深く脳に刻み込みます。これは「エピソード記憶」と呼ばれ、感情を伴う体験は記憶に残りやすいのです。
苦手な“人の名前”を覚えるのにも応用できる!
私自身、今でも人の名前を覚えるのがあまり得意ではありません。でも、祝詞を覚えた体験から、記憶のためにできる工夫も見えてきました。
たとえば:
- 名前を聞いたら、顔を見ながらすぐに口に出して名前を呼ぶ
- その人の特徴と組み合わせて物語にして覚える
- 一度会った人の名前を1日後に思い出そうとする(想起練習)
“思い出そうとすること”自体が、記憶を強くするトレーニングになるのです。
祝詞が教えてくれた、記憶との向き合い方
「覚えよう」としなくても、「続けること」で自然と身についた天津祝詞。
私たちは、記憶を「押し込む」ものだと思いがちですが、記憶とは“馴染む”ものでもあると、この体験は教えてくれました。
大切なのは、意味と感情を込めて、繰り返すこと。
そして、自分のペースで“思い出す練習”をしていくことです。
天津祝詞を自然に覚えた体験から、
記憶というのは「努力」ではなく「関わり方」次第でぐっと身近なものになると気づきました。
「覚えなきゃ」から、「触れてみよう」へ。
祝詞のように、祈りのように、誰かの名前を呼ぶように——そんな風に、日々を積み重ねていくことで、記憶もまた育っていくのかもしれません。
今日も佳き日に
コーチミツル