
今日は月暦で朔日(さくじつ)、いわゆる新月の日です。
自分が「朔日」という言葉に初めて出会ったのは、10年以上も前、ご先祖さまの位牌を見たときでした。命日の欄に記されていたのは「朔日」という一文字。「これはいったい何のことだろう?」と当時の自分は首をかしげながらも、特に深く調べることはしませんでした。
しばらくして「朔日=ついたち」、つまり月の初日ということに自然と気づきました。そして、それが太陰暦での“月のはじまり”を意味することを知ったのは、さらにずっと後のこと。今思えば、ご先祖さまは当時の暦、すなわち「月の満ち欠けに合わせた暮らし」を生きておられたのですね。
明治の大転換は太陰暦から太陽暦へ
日本が長く用いていた太陰太陽暦は、月の満ち欠け(朔望)に基づいて1ヶ月を定め、太陽の動きを取り入れて季節とのズレを調整するものでした。
ところが、明治5年(1872年)のある日、政府は突然「太陽暦(グレゴリオ暦)を明治6年から採用する」と発表しました。それまでの旧暦・太陰暦は廃止され、明治5年12月3日(旧暦)は、いきなり明治6年1月1日(新暦)になったのです。
その背景には、欧米諸国との整合性をはかる近代化政策や、財政上の理由があったと言われています。たとえば、太陰暦では閏月が入る年には「13ヶ月分の給与や年金の支給」が必要だったため、1ヶ月分の予算削減も兼ねていたそうです(※太政官布告第337号、国立公文書館より)。
こうして自分たちは、空を見上げずとも日付がわかる“カレンダーの時代”へと移っていきました。
月のリズムを暮らしの中に
ですが、自分はふとしたきっかけから、再び月のリズムに意識を向けるようになりました。
それは畑で土と向き合い、季節や植物の声に耳をすます時間が増えていったからかもしれません。
今日、新月の日に大豆の種をまいたり、ピーマンやパプリカの苗を植えました。また、「竹は新月に切ると虫が入りにくくなる」と聞き、竹の塀を作る時、必要な材料もこのタイミングで採るようにしていただきました。
こうした“月の動きに合わせた営み”は、実は古くから世界中の農民や漁師、職人たちのあいだで受け継がれてきたと聴きました。
新月~満月は成長のとき
新月は「静けさと再生のとき」。
この時期に植えた作物は、月が満ちていくにつれて地上の部分(葉や実)へと養分が伸びやすくなるといわれています。
これは、月の引力が水分の動きに影響を与えることに由来し、植物の発芽や生長に関する研究でも、月齢による差異が報告されているそうです(出典:Journal of Agricultural Sciences, 2016)。
満月は表現と成熟
満月のころは、気持ちが高まりやすく、動物の出産件数や人間の活動もピークに達しやすい時期とされています。
スイス・バーゼル大学の研究では、満月の前後には睡眠の質が低下しやすいという結果も報告されていて(Cajochen et al., Current Biology, 2013)、自分たちの体もまた、月と共鳴していることを感じます。

新月の伐採は素材の質を高める
林業の現場でも、「新月に伐採した木材は腐りにくく、虫が入りづらい」と言われてきました。これは新月のころ、水分が根に引かれ、樹の含水量が少なくなることで乾燥しやすく、材の持ちがよくなるためだと考えられています(出典:林業技術センター報告書より)。
月のリズムは命のリズム
新月に始まり、満ちていき、そしてまた欠けていく――
この流れは、まるで人の一生のようです。
ゼロに戻るような新月の日に、自分は毎月のスタートをそっと整えます。
ご先祖さまの命日に記された「朔日」は、命の終わりであり、また新しい命の流れの始まり。
その“循環の感覚”が、自分にとって月を意識する理由のひとつになっているのかもしれません。
ご先祖さんにいろいろ教えていただきました。
今日も佳き日に
コーチミツル