「重要度と緊急度」
この言葉を意識するようになったのは、コーチングを学んでからでした。
でも、それ以前の私は、とにかく目の前のことに向き合う毎日でした。
というより、そうするしかなかった──というのが正直なところです。
3人の息子が同時に熱を出した日
30年ほど前のことです。
早朝から3人の息子が一度に熱を出したのです。
急遽仕事を休んで、私が車を運転。
妻が心配そうに3人を見つめながらただただ病院へと急ぎました。
「今すぐ、何とかしなければ」
その思いだけで体が動いていたのを覚えています。
その20年後、父と母を救急搬送
時は流れて10年前。
父と母の体調が立て続けに急変し、数ヶ月の間に私は救急車に3度同乗しました。
その頃には、「これは緊急であり、そして重要なことだ」と、頭では理解していました。
でも、やっていることは結局同じ。
ただ、やれることを、やってきた。それだけなのかもしれません。
今、自分が大切にしている考え方
今の自分は、「重要なこと」に意識的に時間を使うようにしています。
そして、その中にあえて余白を残すようにしています。
なぜなら、急に何かが起きたときに、その余白が自分を支えてくれるからです。
日々の生活で「緊急」なことは突然やってきます。
でも、「重要なこと」にしっかり向き合っておくと、慌てずにすむことが増えてきました。
緊急度 × 重要度の考え方(かんたん解説)
緊 急 | 緊急じゃない | |
重 要 | 今すぐ動くこと (病気・事故) | (健康・人間関係) | 将来のために備えること
重要じゃない | 他人の都合 (依頼・雑務) | ダラダラ時間 (意味のないネットサーフィン) |
大切なのは、
**「緊急じゃないけど重要なこと」**に日頃から時間を使うこと。
それが、いざというときの「備え」になります。
将来の自分が“ありがとう”って言ってくれる時間を
最近の自分は、こんな問いをよく自身に投げかけています。
「これは将来の自分が“ありがとう”って言ってくれるかな?」
たとえば…
- 朝、神棚と御先祖に静かに手を合わせて感謝する
- 健康を保つために筋トレをしたり、バランスの良い食事を心がける
- 自分が自分であるような趣味を楽しむ(自分はジャズとか)
- 畑に出て、自然に触れながら野菜を育てる
こうした時間は、すぐに目に見える成果があるわけではありませんし、形として成果が見えないかもしれません。
でも、未来の自分を支えてくれる「土台:基盤」になると信じています。
大切なことに、余白をそえて
子どもたちを抱えて病院に走った日も、
父と母の救急車に付き添った日も、
「誰かを想う心」だけは変わっていません。
何が正解かわからない中で、私はただやれることを、やってきた。
あの時の自分も、今の自分も、
だからこれからも、
大切なことを大切にしながら
その中に余白をそえて、生きていきたいと思います

今日も佳き日に
コーチミツル