630.「やられちゃいましたね」で、悔しさが笑いに昇華した

今日、コンビニに入った時のことです。

急にトイレに行きたくなり、店員さんに、

「トイレを貸してください」

と声をかけて、店の奥へ向かいました。

トイレは一つだけ。

ドアを見ると、赤い「使用中」の表示が出ていました。

ほんの1、2秒の隙に

仕方がないので、トイレから1.5メートルほど離れたところで、棚の商品を眺めながら待つことにしました。

すると、そのほんの1、2秒の間に、一人のお客さんが店に入ってきました。

その人は店員さんに声をかけることもなく、そのままトイレの前へ向かいました。

そして、ちょうどその時、トイレのドアが開いたのです。

その人は、何の迷いもなくスッと中へ入ってしまいました。

「あちゃー」

完全に順番を先に越されてしまいました。

自分がトイレの前から少し離れた、そのわずかな隙を見事に突かれた格好です。

「しまった。ドアの前で待っていればよかった」

そう思いながら、苦笑しながらふと店員さんの顔を見ると、店員さんもこちら気持ちを察しているのがわかりました。

おそらく、最初に自分がトイレを借りたいと伝えたことも、自分が先に待っていたことも分かっていたのでしょう。

大声で笑うわけではありません。

けれど、その表情から、

「ああ、やられましたね」

という気持ちが伝わってきました。

「やられちゃいましたね」

その後、ようやく自分の番が来て、無事に用を済ませることができました。

そして、炭酸水を一本持ってレジの前に立ちました。

先ほどのことを思い出しながら、

「いやー」

と首をひねると、店員さんが苦笑いしながら言いました。

「やられちゃいましたね」

自分も笑いました。

店員さんも笑いました。

それで、この出来事は終わりました。

誰かと笑うと、悔しさが昇華される

順番を先に越された瞬間は、やはり悔しいものです。

「自分の方が先に待っていたのに」

「なんだ、あの人は」

そんな気持ちにもなります。

そのまま考え続ければ、せっかくの一日の中に、小さな嫌な出来事として残ったかもしれません。

けれど、店員さんの、

「やられちゃいましたね」

というひと言で、その悔しさは、くすっと笑える話に変わりました。

自分の気持ちを誰かが分かってくれた。

そして、一緒に笑ってくれた。

それだけで、心に引っかかっていた悔しさが、笑いへと昇華されたように感じました。

共感が出来事の意味を変える

今回、自分がうれしかったのは、店員さんが自分の気持ちを分かってくれていたことです。

順番を抜かれたという出来事そのものは変わりません。

先にトイレへ入られてしまった事実も変わりません。

けれど、

「自分が先に待っていたことを分かってくれている人がいる」

そう感じられただけで、悔しさはずいぶん軽くなりました。

共感には、出来事の意味を変える力があるのかもしれません。

何かを解決してくれるわけではなくても、

「分かりますよ」

という思いが伝わるだけで、人の心は少し救われます。

そして、その気持ちを一緒に笑うことができれば、嫌な出来事が人に話したくなる出来事へと変わります。

今日のことも、店員さんと笑い合えたからこそ、こうしてブログに書ける小さなネタになりました。

出来事は変えられなくても、終わり方は変えられる

日常には、こうした小さな出来事がよくあります。

順番を先に越されたり、待っていたのに気づいてもらえなかったり、ほんの少しのタイミングで損をしたり。

一つひとつは小さなことですが、

「なんだかなあ」

という気持ちを、そのまま引きずってしまうこともあります。

笑うことで、起きたことをなかったことにするわけではありません。

誰かの行動を正しいことにするわけでもありません。

ただ、自分の中に残った小さな悔しさを、誰かと笑い合える出来事へと昇華する。

そんな終わらせ方もあるのだと思います。

出来事は変えられなくても、その出来事をどのような気持ちで終わらせるかは、少しだけ変えられます。

今日、自分の悔しさを笑いへと変えてくれたのは、店員さんのたったひと言でした。

「やられちゃいましたね」

次からは、トイレのドアの前を離れずに待とうと思います(笑)。

この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・

今日も佳き日に
コーチミツル

#日常の気づき #共感の力 #笑いに変える #コーチミツル


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