父の日に交わした一杯
先日の父の日。
息子が「今日はこれにしよう。」と言って、大瓶の瓶ビールを買ってきてくれました。
久しぶりに二人で瓶ビールを飲みながら、お互いのコップへ何度もビールを注ぎ合いました。
「もう少しいる?」
「ありがとう。」
そんな何気ないやり取りが、とても心地よく感じられました。
昔は当たり前だった「お酌」という文化
昭和や平成の初め頃までは、飲み会でお酌をすることは、ごく当たり前の光景でした。
相手のグラスが空きそうになると「どうぞ」と注ぎ、注いでもらったら「ありがとう」と返す。
今では、それぞれが好きな飲み物を注文し、自分のペースで飲むことが一般的になりました。
その方が合理的ですし、無理にお酒を勧めることもありません。
時代に合った、とても良い変化だと思います。
神社の直会に今も残る日本の心
ご縁をいただき、自分は神社のお手伝いをさせていただいています。
お祭りの最後には「直会(なおらい)」があります。
直会では、神様にお供えした御神酒やお供え物を皆でいただきます。
これは、神様からのお下がりをいただき、その恵みに感謝するとともに、神様と人が同じものをいただく「神人共食(しんじんきょうしょく)」という古くからの考え方に由来しています。
だからこそ、直会は単なる飲み会ではありません。
「お疲れさまでした。」
「ありがとうございました。」
そんな言葉を交わしながら盃を酌み交わす時間も、お祭りの大切な一部です。
「直会までがお祭り」と言われる理由が、そこにはあるように感じています。

注いでいるのは、お酒ではなく気持ち
考えてみると、お酌という行為は、お酒を注いでいるようでいて、実は相手への気持ちを注いでいるのかもしれません。
「今日は一緒に過ごせてよかった。」
「これからもよろしくお願いします。」
「ありがとう。」
そんな言葉にならない思いを、一杯のお酒に託してきた。
だからこそ、お酌という文化は長い間、日本人の暮らしの中に残ってきたのでしょう。
合理性だけでは語れない豊かさ
もちろん、文化は時代とともに変わります。
無理に飲ませることや、お酒が飲めない人への配慮は、とても大切です。
だから昔のすべてが良かったとは思いません。
それでも、「つぐ」「つがれる」という行為そのものには、相手を思いやる心が残っているように感じます。
それは、お酒だけではありません。
お茶を入れること。
料理を取り分けること。
誰かのために席を立つこと。
そこには、「自分だけではなく、相手にも心を向ける」という、日本人らしい思いやりがあります。
合理性だけでは測れない豊かさが、そこにはあるように思います。
息子が瓶ビールを選んだ本当の理由
父の日に、息子と何度もビールを注ぎ合った時間。
ビールの量は同じでも、自分で缶を開けて飲むのとは違う、温かな時間が流れていました。
「つぐ」という行為には、人と人との距離を少しだけ近づける力がある。
そんなことを考えながら、息子に聞いてみました。
「ところで、今日はどうして瓶ビールにしたの?」
すると息子は、笑いながら一言。
「だって、大瓶の方が量が多いから。」
なるほど……。
ここまで日本の文化について深く考えていた自分ですが、息子の理由は実にシンプルでした。
思わず二人で笑ってしまいました。
文化は、何気ない時間の中で受け継がれる
でも、理由はどうであれ、あの日、何度もお互いのコップにビールを注ぎ合った時間は、自分にとって忘れられない父の日になりました。
文化とは、立派な理由があって受け継がれるものばかりではありません。
「もう一杯どう?」
「ありがとう。」
そんな何気ないやり取りの中で、人を思いやる心は自然と受け継がれていくのではないでしょうか。
息子は「量が多いから」と言いました。
でも、自分にとっては、その大瓶のおかげで、何度もビールを注ぎ合い、笑い合う時間が生まれました。
理由はどうあれ、親子で自然に「つぐ」「つがれる」を繰り返していたことが、なんだか嬉しく思えました。
文化とは、誰かに教えられるだけではなく、日常の何気ない時間の中で受け継がれていくものなのかもしれません。
父の日に、そんなことを教えてもらった気がします。
参考文献
・文化庁『和食文化に関する資料』
・国立歴史民俗博物館『日本の酒文化・儀礼文化に関する研究』
・ルース・ベネディクト『菊と刀』
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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