最近、朝に味噌汁を作っていない※ことに気づきました。
以前は、朝になると自然に味噌汁を作っていました。
どうして作らなくなったのだろう。
少し考えてみると、よく使っていたあごだしが切れていることを思い出しました。
いりこもあります。
さばぶしもあります。
作ろうと思えば、味噌汁は作れます。
それなのに、なぜか気が乗りません。
あごだしが切れたことが、きっかけだったのでしょうか。
それとも、味噌汁を普通に作れるようになったことで、
「材料さえあれば、いつでも作れる」
と安心していたのでしょうか。
できないから作らなくなったのではありません。
できると思っていたからこそ、少し油断していたのかもしれません。
最近の朝自活は、水やりが中心になった
振り返ってみると、最近の朝自活は、野菜への水やりが中心になっています。
朝、外へ出て、野菜の様子を見る。
土が乾いていないかを確かめ、水をやる。
新しい葉が出ていたり、少し大きくなっていたりすると、それだけでうれしくなります。
一方で、以前していたラッパの練習やアブローラーは、最近あまりしていません。
どちらも、やめようと決めたわけではありません。
けれど、気づけば朝自活の中から少しずつ姿を消していました。
最初は、単に自分の中の関心が移ったのだと思っていました。
以前なら、こうした一時的な関心の変化を「マイブーム」と呼んでいたのかもしれません。
けれど、もう少し考えてみると、それだけではないように思えてきました。
アブローラーは、ジムに通うようになったから
アブローラーをしなくなったのは、筋トレをやめたからではありません。
むしろ、ジムに通うようになったからです。
ジムで身体を動かしている。
筋トレもしている。
だから、家でアブローラーまでしなくても大丈夫。
どこかで、そんな安心が生まれていたのだと思います。
もちろん、ジムに通うようになったことは前進です。
以前よりも、いろいろな器具を使って身体を鍛えることができます。
けれど、そのことによって、それまで家でコツコツ続けていたアブローラーを、少し甘く見るようになっていたのかもしれません。
「ジムに行っているから大丈夫」
その大丈夫の中に、小さな油断がありました。
ラッパも、少し吹けるようになった
ラッパも同じです。
以前は、人前で吹くと緊張して、思うように音が出ないことがありました。
けれど最近は、以前ほど緊張せずに、少し吹けるようになりました。
演奏を褒めていただくことも、以前より少し増えました。
それは、素直にうれしいことです。
続けてきた成果でもあります。
けれど、その喜びと一緒に、
「前より吹けるようになったから、もう大丈夫」
という気持ちも生まれていたのかもしれません。
できなかった頃は、一生懸命練習します。
けれど、少しできるようになると、安心して手を緩めてしまう。
ラッパが嫌になったわけではありません。
むしろ、少しできるようになったからこそ、練習の優先順位が下がっていたのでしょう。
味噌汁も、作れるから油断した
味噌汁も、考えてみれば同じです。
以前は、朝に味噌汁を作ることを、少し意識していたのだと思います。
だしを取り、具を入れ、味噌を溶く。
続けるうちに、それが自然にできるようになりました。
すると、
「材料さえあれば、いつでも作れる」
と思うようになります。
けれど、よく使っていたあごだしが切れると、流れが止まりました。
いりこも、さばぶしもある。
それでも、いつものあごだしがないことで、なぜか作る気にならなかった。
味噌汁そのものを作れなくなったわけではありません。
できるつもりでいたからこそ、その習慣を支えていた小さな条件を軽く見ていたのだと思います。
できないことには、気を配ります。
けれど、できるようになったことには、もう大丈夫だと思って手をかけなくなる。
習慣が途切れるのは、苦手だからではなく、慣れたからということもあるのでしょう。
お酒も「ご褒美」になっていた
ジムに通うようになってから、食事にも以前より気をつけるようになりました。
身体を鍛えているのだから、食べるものにも気を配りたい。
そんな意識はありました。
一方で、お酒については、
「頑張った自分へのご褒美」
という感覚がありました。
ジムに行った。
食事にも気をつけた。
だから、お酒くらいはいいだろう。
そう考えていたのだと思います。
もちろん、楽しみをすべて我慢する必要はありません。
お酒を飲むことそのものが悪いわけでもありません。
ただ、自分の場合は「ご褒美」という言葉を使うことで、少しずつ油断した生活になっていたのかもしれません。
運動しているから大丈夫。
食事に気をつけているから大丈夫。
頑張っているから大丈夫。
その「大丈夫」が、少しずつ積み重なっていました。
できるようになった時こそ、油断が始まる
できない時には、自分の足りないところがよく見えます。
だから、努力します。
練習します。
気をつけます。
けれど、少しできるようになると、自分の足りないところが見えにくくなります。
味噌汁を普通に作れる。
ジムに通っている。
以前より緊張せずにラッパを吹ける。
演奏を褒めてもらうこともある。
食事にも気をつけている。
一つひとつは、確かに前進です。
けれど、前進したからこそ、
「もう大丈夫」
という油断も生まれます。
今回、自分はその油断に気づくことができました。
それは、よかったことだと思います。
気づかなければ、そのまま少しずつ離れていったかもしれません。
気づいたからこそ、もう一度、自分の習慣を見直すことができます。
ウサギではなく、亀のように
イソップ寓話の「ウサギと亀」では、足の速いウサギが途中で油断し、歩みの遅い亀が休まずに進み続けます。
少しできるようになったからといって、立ち止まってはいけない。
人より速く進む必要はありません。
毎日たくさんする必要もありません。
ただ、完全にやめないこと。
亀のように、コツコツと続けること。
自分も、少しできるようになったことで、いつの間にかウサギのような気持ちになっていたのかもしれません。
ラッパも吹けるようになってきた。
筋トレもしている。
味噌汁も作れる。
だから、もう大丈夫。
そう思って、少し休んでいたのでしょう。
けれど、できるようになったことを保ち、さらに育てるには、亀の歩みが必要です。
今の暮らしに合わせて、習慣を編み直す
以前していたことを思い出すと、
「また全部やらなければ」
と思ってしまうことがあります。
けれど、昔の習慣をすべて同じ形で戻す必要はありません。
今の生活に合うように、編み直せばよいのだと思います。
晴れた朝は、外へ出て野菜に水をやる。
雨の日は、室内でラッパを吹くか、アブローラーをする。
ジムに通いながら、家でできる小さな筋トレも完全には手放さない。
演奏を褒めてもらったことを喜びながら、そこで満足しすぎない。
味噌汁も、あごだしを買い足し、また自然に作れる環境を整える。
お酒についても、ご褒美という言葉で油断するのではなく、量や回数を自分で意識する。
全部を完璧にする必要はありません。
けれど、できるようになったからといって、完全に手を離さないこと。
習慣とは、同じことを毎日繰り返すだけではなく、その時の暮らしに合わせて、大切なものをつなぎ直していくことなのだと思います。
そういえば、最近していない。
その気づきは、自分を責めるためのものではありません。
少し油断していた自分に気づき、もう一度歩き始めるための合図です。
ウサギのように速く走って安心するのではなく、亀のようにコツコツと進む。

今日からまた、今の自分に合った形で続けていこうと思います。
小さな油断に気づき、もう一度、自分らしい歩みを始められる人が増えますように。
※この気づきの後、サバぶしで久しぶりに朝メシの味噌汁を作らせていただきました。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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