
前回の続きとして
前回のブログでは、
四十九日のお勤めをきっかけに、
曹洞宗の考え方や食事のあり方について書きました。
その中で、
永平寺の様子を紹介しているYouTubeの動画も
参考として載せさせていただきました。
食事について改めて感じたこと
その動画の中で、
印象に残った言葉があります。
今の食事は、
三徳六味ではなくなっている
という話でした。
味を足しすぎる時代
昔の食事は、
素材の持つ味を活かしたものでした。
しかし今は、
- マヨネーズをかける
- ソースを足す
- 味を濃くする
といったように、
何かを足すことが前提
になっているように感じます。
本来の味が分からなくなる
そうなると、
食べ物そのものの味が、
分かりにくくなってしまう。
そしてこれは、
食べ物だけの話ではなく、
自分自身にも言えることではないか
と感じました。
自分の持ち味とは何か
何かを足し続けていくと、
本来の味が分からなくなる。
それと同じように、
周りに合わせたり、
何かを足そうとしたりする中で、
自分の持ち味も見えにくくなる
のではないかと思います。
命のいただき方
もう一つ印象的だったのは、
食事の作法についてです。
器は、
口元よりも低く持たない
それは、
命を奪うような食べ方をしないため
だと教えていただきました。
食べるということの意味
食べるという行為は、
単に栄養を取ることではなく、
命をいただくこと
そのことを、
姿勢や所作で表しているのだと感じました。
以前のブログとのつながり
以前のブログ
でも書きましたが、
食べるということは、
命がつながっていくこと
だと感じています。
今回の学びは、
その考えと、
つながっていることに気づかされました。
足すのではなく戻る
今の時代は、
足すことで満たそうとすることが多いように感じます。
でも本当は、
足すのではなく、
戻ること
なのかもしれません。
本来の味に戻る
食べ物も、
本来の味に戻る。
自分自身も、
本来の持ち味に戻る。
そうすることで、
余計なものに左右されず、
自然な状態でいられるのではないかと感じました。
まとめ
何かを足し続けるのではなく、
一度立ち止まって、
本来の状態に戻る。
それは、
食べ物の味だけでなく、
自分自身の在り方にもつながっている。
そんなことを、
今回改めて感じました。
あなたは今、
何を足しすぎていると感じますか?
そして、
本来の自分の持ち味は、
どこにあると思いますか?
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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