
四十九日での対話
先日、おばさんの四十九日のお勤めがありました。
その仕上げの場で、
偶然にも僧侶の隣に座ることになり、
いろいろとお話を伺うことができました。
曹洞宗の考え方
その中で印象に残ったのが、
曹洞宗の考え方です。
何か奥義を目指すのではなく、
今ここに生きること
食事をしているときは、
食事に集中する。
掃除をしているときは、
掃除に集中する。
座禅を組んでいるときも、
浮かんできたことは、
「浮かんだ」と感じるだけで、
それ以上の思考はしない。
終わりがない修行
さらに興味深かったのは、
修行には終わりがない
ということでした。
何年で完了というものはなく、
自分で時期を決めてやめることもある。
食事も修行
食事についても、
いくつか印象的なお話がありました。
永平寺のごま豆腐は、
1時間かけて丁寧に練り上げるそうですが、
それはお客様のためのもので、
修行僧が日常的に食べるものとは異なるとのことでした。
日々の食事のあり方
修行僧の食事は、
朝はお粥、漬物、胡麻塩。
昼や夕は、
ご飯、味噌汁、漬物、野菜のおかず。
非常に質素ですが、
そこにも意味があります。
たくあんの話
ここで少し気になって、
僧侶にこんなことを聞いてみました。
「たくあんを音を立てずに食べるのは至難の業ですね」
すると、
「たくあんは、とても薄く切ってあり、音が出にくいようにしているんですよ。」
と僧侶から笑みを浮かべてのお返事がありました。
少し安心すると同時に、
そこまで配慮されていることに、
驚きを感じました。
分かち合うということ
食事の際には、
「生飯(さば)」と呼ばれるご飯を
数粒残し、
生き物に施す習慣があるそうです。
これは、
鳥や小さな動物、
または目に見えない存在も含めて、
すべての命に分かち合うという意味
が込められていると教えていただきました。
五観の偈とは
また、食事の前後には、
「五観の偈(ごかんのげ)」
という言葉を唱えます。
これは、
食事に対する感謝や、
自分の行いを振り返るためのものです。
簡単に言うと、
- この食事がどのようにして自分のもとに届いたのか
- 自分の行いはそれに値するものか
- 心を乱さずにいただけているか
といったことを、
食事の前に整える時間でもあるように感じました。
丁寧に生きるということ
応量器という専用の食器を使い、
音を立てず、
無言で食事をする。
その一つひとつが、
丁寧に生きること
につながっているように感じました。
典座教訓という考え
曹洞宗の開祖である道元禅師は、
「典座教訓」の中で、
料理そのものを修行と捉え、
手間を惜しまず、
心を込めて作ることを大切にされています。
整えようとしない整い
今回のお話を聞いていて感じたのは、
整えようとして整うのではなく、
今やっていることに集中することで整う
ということでした。
Well-Comismとのつながり
これまで、
Well-Comismという
「受け止め方」について考えてきました。
起きていることを、
一度そのまま受け止める。
今回のお話は、
それをさらにシンプルにした、
“今ここにあることをそのまま生きる”
という感覚に近いように思います。
考えすぎないということ
何かを良くしようとすると、
つい考えすぎてしまいます。
でも、
浮かんだことは浮かんだと感じるだけ。
そこにとどまる。
それだけで、
少し楽になる気がしました。
まとめ
特別なことをするのではなく、
今やっていることに集中する。
食べるときは食べる。
掃除するときは掃除する。
その積み重ねが、
整いにつながっていく。
そんなことを、
今回改めて感じました。
あなたは、
今この瞬間、
何に意識を向けていますか?
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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