7回めのブログで、食事の時のいただきますの意味について「(命と気持ち)いただきます」と当時感じたことをお伝えしましたが、また、少し考えて、今日、そのお話ししたいと思います。個人的意見ですので参考にならないかもしれませんが、自分の記録と記憶として載せさせていただきますね。
以前言っていた「命」って、「エネルギー」のかたまりなんです
なので、○○○○〇に入る言葉は、「エネルギー」が答えになるのですが、前回のブログの内容も振り返って考えてみると、
人って、生きるために他の命をもらってる。
野菜も、肉も、魚も、全部“生きてたもの”(生きているものもあるかも)です。
太陽の光、雨、二酸化炭素、土の栄養で育った野菜、
その野菜を食べる動物たち、
そしてそれを食べる人間たち。
エネルギーが、命を通して駅伝みたいに受け渡されてる。
その襷(たすき)が、今ここにいる自分の元に届いてるって考えると、なんかグッときて、感謝せずにはいられなくなる。
だから、いただきますって言う。
命だけじゃない。人の手や機械も動いてる
食べ物が我が家のテーブルに並ぶまでには、いろんな人の手間暇、そして、車や船、もちろん、その機械を動かすための燃料も含めて様々な人が関わってる。
畑で汗かいて野菜を育てる人。
海に出て魚を獲る漁師さん。
それを運んで、売って、料理してくれる人。
全部、目に見えないところで誰かが手を動かして、人生という時間を使って、襷(たすき)をつないでくれている。
つまり「いただきます」ってのは、
命のエネルギーも、人の労力のエネルギーも、丸ごと受け取りますっていう約束の合図なんだと思う。
だから、いただきますって言う。
忙しい時ほど、見えないものに目を向けたい
今の時代、便利すぎて“食べ物の背景”が見えにくくなってると思いませんか。
パックに食べやすく入った肉、カットされた野菜、いつでもあたたかな出来たての弁当。
誰がどこでどうやって、なんて考える暇こともほとんどもないし、そんなこと気にせず食べられちゃうし、スマホ見ながら食べ物をしっかり味わうこともなく何気に食べてしまいます。
でも、それじゃちょっともったいないと思いませんか。
「いただきます」は、その見えない部分にちょっとだけ目を向けるきっかけになる。
ほんの数秒でもいいから、その一言で立ち止まってみるだけで、食事の味と意味が変わる気がする。
「いただきます」って、自分のエネルギーのスタートキーだ
食事って、ただ栄養を摂るだけじゃない。
命の襷(たすき)、人の想いの襷(たすき)、全部がそこに詰まってる。
「いただきます」って言葉は、その襷(たすき)をちゃんと受け取って、自分の中で次のエネルギーに変えていくよ、っていう覚悟の一声だと思いませんか。
まとめ
次に「いただきます」って言うとき、ほんのちょっとだけでもいいから、今日のことを思い出してみてほしい。
命の重さ、人の手の温かさ、それをつないできた襷(たすき)のこと。
食事は、エネルギーのリレー。
自分たちは、その大事な流れの一部にちゃんといるし、アンカー走者でなく、他の人へのエネルギーの襷(たすき)リレーも行っている。
「いただきます」、それだけで、世界とのつながりを思い出せる。
そんな言葉、ずっとこれからも大事にしていきたいと思います。
「ごちそうさま」も忘れずにね(笑)

今日も佳き日に
コーチミツル