
先日、母の一周忌の法要を無事に終えました。
親戚の皆さんが集まり、母のこと、昔のこと、近況のこと、
特別な話題があるわけでもないのに、自然と会話が生まれました。
法要がなければ、
きっと集まる理由も、
ゆっくり話す時間も、なかったと思います。
その場に身を置きながら、
あらためて、法事という営みについて考えました。
毎年届く、法要のお便り
毎年、お寺から法要のお便りが届きます。
来年予定に書かれているのは、江戸時代の、顔も知らないご先祖の法要。
お寺さんからは、
「そんなに古いものは、もうしなくてもいいですよ」
と言われることもあります。
それでも自分は、
その法要をお願いしようと考えています。
知らないご先祖のために、なぜ法要をするのか
理由は、とてもシンプルです。
今の自分があるのは、ご先祖様のお陰だと考えているから。
名前も知らない。
どんな人生だったのかも分からない。
それでも、その一人ひとりが生き、命をつないできたから、
今の自分があります。
感謝というのは、
詳しく知っている相手にだけ向けるものではなく、
存在そのものを受け取ることから生まれるものだと思っています。
そもそも法事とは、何のためのものなのか
母の一周忌で親戚が集い、
語り合い、笑い、少ししんみりしながら過ごした時間。
その空気の中で、
法事とは何なのだろうと考えました。
もし、亡くなった人のためだけの行事なら、
ここまで長く続いてきた理由は説明できません。
もし、残された人のためだけなら、
形はもっと簡略化されていたはずです。
それでも法事は、
形を変えながら、今も続いています。
その理由をたどっていくと、
少しずつ見えてくるものがあります。
法事とは、
「過去」と「今」と「これから」を、
そっと一本の線でつなぎ直す時間
なのかもしれません。
法事は「思い出すため」ではなく「集うため」
法要の場では、
母の話だけでなく、
祖父母のこと、子どもの頃の記憶、
今それぞれが抱えている日常の話も交わされました。
亡くなった人をきっかけに、
生きている人たちが集い、
関係を確かめ直す。
法事は、
過去を懐かしむだけの時間ではなく、
人と人が再びつながるための「場」
でもあるのだと感じました。
「しなくてもいい」と言われても、する理由
合理性だけで考えれば、
古いご先祖の法要は、
「しなくても困らないこと」かもしれません。
けれど、
しなくても困らないことと、
しないほうがいいことは、同じではありません。
法要は、義務ではなく、
感謝とつながりを、形にするための時間。
だからこそ、
当然のように、法要をし、手を合わせています。
過去を敬うことは、未来を軽くする
不思議なことに、
ご先祖に感謝し、
母を思い、
人と語り合ったあとは、
気持ちが少し軽くなっていることに気づきます。
「ここまで、ちゃんとつながってきた」
そう感じられるからかもしれません。
法事は、
過去を重く背負うためのものではなく、
これからを歩くための、静かな支え
なのだと思います。
結びの問い
もし、
いつか自分が誰かの一周忌を迎えられる側になったとき。
その場に集った人たちは、
どんな空気の中で、どんな話をしていてほしいでしょうか。
今日も佳き日に
コーチミツル
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