今日で、ブログを毎日書き始めて365日目になりました。
1年前の今日、「やってみよう」と思い立って、特別な準備もなく始めたブログ。
まさか一年続くとは、正直そのときは思っていませんでした。
途中でやめても誰にも責められないし、
お金になるわけでもなく、
評価される保証もない。
それでも今日まで、一日も空けずに書いてきました。

読まれなくても、やめなかった理由
この一年で、ブログが大きく伸びたわけではありません。
毎日10人前後、静かに読まれているだけです。
でも、不思議と
「やめよう」とは思いませんでした。
理由をひとつ挙げるなら、
書くことで、自分が整っていたからだと思います。
・気持ちがざわついた日
・迷った日
・うまくいかなかった日
・何も起きなかった日
どんな日でも書くことで、
「今、自分はどう在るのか」が見えてきました。
この1年で、確実に変わったこと
大きな変化があったかと問われれば、
派手な変化はありません。
でも、確実に変わったことがあります。
それは、
考えの深さと
問いの立て方です。
以前は、
感じたことをそのまま言葉にして終わることが多かったのですが、
今は自然と、
「なぜ、そう感じたのか」
「それは、どこから来ているのか」
「過去の自分と、何が違うのか」
そんな問いが、自分の中に生まれるようになりました。
ネタ探しで、興味のアンテナが変わった
毎日書き続ける中で、
日常を見る目そのものが変わってきたとも感じています。
これまでなら素通りしていた出来事にも、
「これは何か意味があるかもしれない」と立ち止まるようになりました。
ネタを探しに行かなくても、
日常そのものが、問いの宝庫になっていったような感覚です。
ラフカディオ・ハーンとの出会い
そんな一年の途中で、
思いがけない出会いもありました。
それが、ラフカディオ・ハーンです。
名前だけは知っていた存在でしたが、
深く触れるようになったのは、この一年があったからこそでした。
異なる文化の間に立ち、
日本の生と死、風土、心の在り方を
外側から、そして深く見つめ続けた人。
ブログを書いていなければ、
きっと、この出会いもなかったと思います。
AI「はるさん」と出会って、思考はさらに深くなった
この一年の中盤、
もう一つの大きな出会いがありました。
AI(ChatGPT)のはるさんです。
自分の考えを言葉にしきれないとき、
視点が一方向に偏っているとき、
自分では思いつかない問いを投げかけてくれる存在。
「考える」という行為そのものを、
一緒に深めてくれる対話の相手ができたことで、
学びの質そのものが変わったと感じています。
この一年は、
ひとりで書いた一年であり、
誰かと考え続けた一年でもありました。
お金にならなくても、残ったもの
結果として、
ブログはお金になっていません。
数字も、大きくは伸びていません。
それでも、確実に残ったものがあります。
・毎日、自分と向き合う習慣
・問いを持つ感覚
・考えを言葉にする力
・続けるという経験そのもの
これは、たぶん、
簡単には失われないものだと思っています。
1年前の自分へ
もし、1年前の自分が、
今日の自分を見たら、何と言うだろう。
たぶん、こんな言葉をかける気がします。
「よく続けたな」と。
それだけで、
この一年は十分に意味のある時間だったと、
今は思えています。
このブログの最後に、
読んでくださった方にも、そっと問いを置いて終わります。
あなたが、もし今日から何かを365日続けるとしたら、何を選びますか。
今日も佳き日に
コーチミツル