577.田んぼは、お米を育てる場所ではなかった。(親から受け継ぎたい、本当に大切なもの)

自分の家には田んぼがあります。

中学生くらいまでは、親父の手伝いをするのが当たり前でした。

稲刈りを終えた後は、「はでぎ(稲を天日干しするための木製の棚)」を組み立て、稲束を運び、家族総出で掛けていきます。

今思えば、ごく当たり前の農家の風景です。

でも、当時の自分には少し違いました。


泥だらけになるのが恥ずかしかった

作業をすると、全身泥だらけになります。

だから同級生に見られるのが本当に恥ずかしくて、できるだけ会わないようにしていました。

それでも出会うことがあり、目を見た途端に気まずくなったことを今でも思い出します。

今なら胸を張って話せることですが、あの頃の自分には、それがとても嫌だったのです。

そんな気持ちを抱えながらも、家族みんなで田んぼの仕事をしていました。


あの日の大雨が教えてくれたこと

ある年のことです。

「これで終わった。」

そう安心した頃、大雨が降りました。

雨の重みで「はでぎ」が倒れ、掛けてあった稲束は田んぼに落ちてしまいました。

また最初からやり直しです。

正直、「嫌だな」と思いました。

でも、この大変さは自分も知っています。

父と母だけでやらせるわけにはいきませんでした。

姉と二人で、

「天気が回復したら、一緒にやろう。」

そう声を掛けました。

作業は想像以上に大変でしたが、家族みんなで「はでぎ」を組み直し、すべての稲束を掛け終えたときのことは、今でも忘れられません。

両親が本当にうれしそうな顔をしていました。

そして、自分たちにも、大きな達成感がありました。


時代は少しずつ変わっていった

その後も、ゴールデンウィークになると耕運機で田んぼを耕すのが恒例になっていました。

ところが父が脳梗塞を患い、自分も仕事で遠方勤務となり、町内の方に田んぼをお願いすることになりました。

あれから長い年月が流れました。

最近では、その方も高齢になられ、無理のできない年齢です。

だからこそ最近、こんなことを考えるようになりました。


その瞬間しか受け継げないものがある

「田んぼをもう一度自分が続けるか。」

もちろん、それも一つの選択です。

でも、自分が本当に受け継ぎたいものは、田んぼそのものではないのかもしれません。

長年積み重ねてきた経験。

土を見る目。

天気を読む感覚。

自然と向き合う姿勢。

そして、黙々と働く背中。

田んぼを作れば、それらを教えてもらえる時間があります。

その時間は、お金では買えません。


親から学べる時間には限りがある

親が元気でいてくれることを、つい当たり前だと思ってしまいます。

でも、その時間には限りがあります。

「いつか一緒にやろう。」

そう思っているうちに、その”いつか”は来なくなることもあります。

今、まさにそのような状況にあります。

田んぼを続けるかどうかは、まだ決めていません。

ただ、親父から学ぶ時間は、今はもうありません。

だからこそ、来年は田んぼの管理をお願いしている方と一緒に田んぼに入り、もう一度、親父の背中を思い出しながら教えてもらおうと思っています。

もしかすると田んぼは、お米を育てる場所ではなく、人を育てる場所だったのかもしれません。


この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・

今日も佳き日に

コーチミツル


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