548.歌うように伝える教え(白隠禅師 坐禅和讃(はくいんぜんじ ざぜんわさん))

先日、自分を子どもの頃からかわいがってくれていた、おじさんとおばさんの法事がありました。

親戚が集まり、お寺で法要が営まれました。

法事というと、和尚さんのお話を聞いたり、お焼香をしたりという印象がありますが、今回印象に残ったのは、配られた経本を参列者全員で読む時間でした。

おそらく30分は超えていたと思います。

親戚一同が声を揃え、一緒に経本を読み続ける時間。

その中で、自分はあることを意識していました。

今ここを読む

これまで法事で経本を読む時、自分は時々、

「あと何ページだろう」

「あとどれくらいで終わるかな」

と先のことを考えていました。

けれど今回は少し気持ちを変えてみました。

先を気にするのではなく、今読んでいる一節に集中する。

今読んでいる言葉を丁寧に味わう。

そんな気持ちで読んでみたのです。

考えてみれば、お経も法事も必ず終わります。

終わらないものではありません。

だからこそ終わりを気にするより、今読んでいる一節を大切にしてみようと思ったのです。

すると不思議なことが起きました。

歌詞のように感じた言葉

ふと目に留まったページがありました。

普段目にする般若心経などは漢字が並び、意味を理解するのが難しいこともあります。

ところが、そのページにはひらがなが多く使われていました。

読んでいるうちに、

「これは歌の歌詞みたいだな」

そんな感覚を持ったのです。

後で調べてみると、それは白隠禅師(はくいんぜんじ)の『坐禅和讃(ざぜんわさん)』でした。

和讃とは、仏教の教えを分かりやすい日本語で伝えるためのものだそうです。

難しい教えを説明するだけではなく、声に出し、心に届けるための言葉。

だからこそ歌詞のように感じたのかもしれません。

心に残った一節

その中にこんな言葉がありました。

「衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」

意味を知ると、

「人は本来仏であり、仏は遠くにいるのではなく、自分たちの中にある」

という教えでした。

何かを付け加えて仏になるのではなく、本来持っているものに気づく。

そんな意味が込められているそうです。

何者かになる前に

最近、自分は心柱やInner Willについて考えることが増えました。

以前は、

もっと頑張らなければ。

もっと挑戦しなければ。

もっと成長しなければ。

そんな思いが強かったように思います。

もちろん挑戦は大切です。

けれど、この言葉は少し違う方向を示しているようにも感じました。

何かを足して立派になるのではなく、

もともと持っている大切なものに気づくこと。

それは最近、自分が考えていることとも重なりました。

芽吹きに惹かれる理由

最近の自分は、畑の芽吹きや花、子どもの笑顔や赤ちゃんの姿を見ると自然と嬉しくなります。

理由を説明しようとしても難しいのですが、命が生き生きとしている姿を見ると心が温かくなるのです。

それは知識でも技術でもありません。

もっと根っこの部分にある感覚です。

もしかすると、それが自分の中にもともとあった大切なものなのかもしれません。

終わりは必ず来る

今回、法事の中で感じたのは、

終わりを急がなくても終わりは来る

ということでした。

お経も法事も、人生も同じかもしれません。

ゴールばかりを見ていると、今という時間を通り過ぎてしまいます。

けれど、今ここを丁寧に味わう。

今読んでいる一節を大切にする。

その積み重ねの先に、自然と終わりはやって来ます。

おじさんとおばさんの法事で開いた一ページでしたが、そこには最近自分が考えていたことにつながる言葉がありました。

何者かになろうとすることも大切。

けれど、ときには立ち止まり、

「本来の自分は何を大切にしているのだろう」

そんな問いに耳を傾ける時間も大切なのかもしれません。

この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・

今日も佳き日に。

コーチミツル

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