「あなたは、自分に厳しい方ですか?」
そう問われたとき、私はこう答えるかもしれません。
「自分との約束は守る方だけど、自分に“厳しい”という感覚はあまりない」と。
他人に対しても、決して厳しい方だとは思っていません。
怒鳴ったり、圧をかけたりといった“怖さ”のような接し方は、自分らしくない。
けれど一方で、厳しさがなければ育たない場面があるということも、また実感としてあります。
「厳しさ」とは、どういうことか?
改めて、厳しさとは何でしょうか?
辞書的には「容赦しない態度」「きびしく接すること」などとありますが、
それだけではどこか冷たく、硬い印象だけが残ってしまいます。
私が思うに、厳しさとは——
**「その人の可能性を信じて、あえて甘やかさないという選択」**のこと。
それは時に、
・耳に痛いことを伝えること
・失敗しても、あえて手を出さず見守ること
・「できる」と信じて任せること
そんな「愛ある負荷」のようなものではないでしょうか。
「怖さ」と「厳しさ」は似て非なるもの
“厳しさ”と聞くと、つい身構えてしまう人も多いかもしれません。
でも、怖い上司と厳しい上司は、同じではありません。
怖さは、人を萎縮させ、関係性を断ちます。
一方、厳しさには信頼と期待が込められていることが多い。
「あなたなら、できると信じている」
そのメッセージを、あえて厳しめの表現で届けることもあるのです。
厳しさは「誰のため」にあるのか?
自分の正しさを通したいがための厳しさ。
ルールを守らせるためだけの厳しさ。
そういったものは、どこか“自分都合”が混ざっているようにも感じます。
でも、本来の厳しさは、相手の未来を願う姿勢から始まるのではないでしょうか。
その人がつまずかないように。
その人がより自立できるように。
そして、その人の可能性が育つように。
それが伝わってこそ、厳しさは“あたたかい支援”として受け取られる気がします。
相手理解のない厳しさは、ただの押しつけ
私自身、コーチングに関わってきた中で強く思うのは、
厳しさには“観察力”と“タイミング”が必要だということです。
同じ言葉でも、
- 自分で課題に気づける人には、「問い」として投げかける厳しさ。
- まだ気づけていない人には、状況を整理して見せるような厳しさ。
- そして、責任から逃げがちな人には、選択肢を提示しながら“自分で選び取る経験”をしてもらう厳しさが有効だと感じています。
たとえば、「どうしたいのか?」ではなく、
「この3つの選択肢があるとしたら、今の自分の成長に一番必要なのはどれ?」
そんな問いかけが、内側の主体性を育てるきっかけになるのです。
これは、相手の中にある“責任を引き受ける力”を信じて待つ姿勢でもあります。
現場では「共通認識」こそが育成のカギ
現場で誰かを育てるときには、“厳しさの基準”を自分ひとりで決めてはいけないと思っています。
なぜなら、関わる人によって育て方にブレがあると、受け手は混乱してしまうからです。
「この場の育成方針はこうだ」
「どんな時にどう関わるか、どこまでを任せるか」
そうした育て方の共通認識があってこそ、厳しさも優しさも一貫性を持ち、信頼へとつながっていきます。
バランスのよい厳しさとは?
優しさと厳しさ。
このバランスに、明確な正解があるわけではありません。
けれど、ヒントはあると思います。
それは——
“相手のために”というまなざしを持ち続けること。
そして、厳しさの中に「信じる心」を込めること。
これこそが、
“怖さ”とは違う、「信じるからこその厳しさ」につながっていくのではないでしょうか。
あなたが誰かに厳しくするとき、それはどんな気持ちから来るものですか?
その厳しさの先に、相手のどんな成長を願っていますか?
そして、周囲との“育て方の共有”はできていますか?

今日も佳き日に
コーチミツル
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