180.また、あの三毛猫に会いたい― 幼い日々と、愛猫との時間 ―

最近、猫が気になって仕方がない

どういうわけか、最近猫のことが妙に気になって仕方ありません。
町を歩けば猫の姿を目で追ってしまい、SNSでは気づけば猫の動画ばかりを眺めています。
その姿、しぐさ、声――どれもが、懐かしい記憶を呼び起こしているのかもしれません。


願ったときに現れた、小さな三毛猫

小学生の低学年の頃、姉と「猫を飼えたらいいね」と話していた、まさにその日。
どこからか、まだ幼く小さな三毛猫が、家の土間に迷い込んできました。
ミーミーと細い声で鳴きながら、まるで「ここに居てもいい?」とでも言うように、
自分たちに身体をすり寄せてきたのです。

あまりにも懐っこくて可愛らしく、すぐに心を奪われました。
最初はお袋が反対しましたが、姉と一緒に何度も頼み込み、ようやく家族の一員に迎えることができました。
ミーミーと鳴いていたので、その猫は「ミミ」と名付けることになりました。


一緒に過ごした、かけがえのない日々

それから十数年、自分が二十歳になるまで、ミミは家にいてくれました。
自由気ままに家の中と外を行き来しながら、ときに小さな獲物を捕まえてきて得意げに見せたり、
気分の良い日は自分の部屋で眠ったり――
その存在は、まるで姉のようであり、彼女のようでもありました。


愛猫が見せてくれた、いのちの誕生

何度か迎えたお産のとき、愛猫は決まって納屋の藁の上を選びました。
不安だったのか、出産の直前になると自分のもとへ来て、そっと鳴いて呼ぶのです。
まるで「そばにいて」と言っているかのようで、
自分はその願いに応えるように、そばで静かに見守っていました。

いのちが生まれる瞬間に立ち会わせてくれたこと、
それは今思えば、特別な信頼を寄せてもらっていた証だったのかもしれません。
きっと家族の中で、いちばん心を通わせていたのは自分だったと思っています。


あのとき、もっとしてあげられたこと

ある日、外で縄張り争いに巻き込まれた愛猫は、怪我を負って帰ってきました。
今であれば迷わず動物病院へ連れていくところですが、
当時は自分は違う町に住んでいてたまに家に帰ったときも「人間用の薬を塗る」くらいしか思いつかず、
その傷は癒えることなく、やがて弱々しい足取りで家から出て行き、家族から見えない場所で息を引き取りました。

どうしてあげたらよかったのか、
もっと守ってあげられたのではないか――
そう思うたび、申し訳なさと寂しさが胸の奥に残ります。


また、あの三毛猫に会いたい

今、なぜこんなにも猫が気になるのか。
それは、あの三毛猫が自分の心の中で、今もそっと生き続けているからかもしれません。
もう一度だけ、軽やかに歩くその姿を目にしたい。
ミーミーと甘えるように鳴く声を聞きたい。
そう願っている自分が、心のどこかにいるのです。

そして、何となくですが、近いうちに会えるような気もするのです。


大切な記憶が、今を支えてくれている

誰にでも、ふとしたときに思い出す存在があるのではないでしょうか。
幼いころに感じた声やぬくもり、見つめる瞳。
過ぎた時間の中にあるその存在が、
今の自分をやさしく支えてくれているのかもしれません。

今日も佳き日に

コーチミツル


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