75.親父の記憶

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親父は3年前、そして今年1月に母が亡くなり、

とうとう両親が居なくなりました。生前の親父は大変元気な人で会社を退職した後は、朝は陽が昇るのを待って陽が沈むまで農作業をする毎日で、近くのスーパーやJAの販売店で野菜を売っていました。

父は無口で忙しくとも人に頼むことは少なく、自分はというと、転勤族で近くにいないこともあり、たまに帰郷した時にお袋から頼まれて部分的に農作業を手伝うくらいでした。

なので、野菜を育てることの全体を知らぬまま、”手伝い”=”やらされる” 感覚で単純作業として身体を動かす、ある意味、事務仕事をしている自分のエクササイズの一つくらいにしか思っていませんでした。

10年前くらいから親父が脳梗塞で動けなくなり、

それまで、キレイだった畑が雑草の棲家となりました。また、お袋も足腰が弱くなってきたことから自分も転勤族から地元の勤務に変えていただき、休みには荒れた畑の草刈りが週末の日課になりました。

そんな中,どうせなら、草を生やして土地を遊ばせるのではなく、今ある土地で、何かの野菜を育てる方が精神的にも良いことから、少しずつ野菜作りを始めたのが10年前のこの頃です。

野菜作りのノウハウはお袋はもちろん知っていましたが、農薬は使いたくなかったので、肥料のやり方を訊くくらい。今になって思えばもっともっと訊いておけば良かったと思います…。

そして、最近野菜作りの知恵のあったお袋も亡くなり、いよいよ自分が考えて野菜作りを始めないといけなくなりました。あ、何か大それたことを書いているように思われるかも知れませんが、この話、家庭菜園的な野菜作りの話です。笑

以前のブログでも書きましたが、

自分たちが食べる野菜で自分が作るものは、今後は無農薬、無肥料で育てようと考えているところです。

そして、より良い土壌作りには、大豆を育てると良いということを木村秋則さんの本で読み、JAさんに訊き、大豆の種(そのまま大豆ですが笑)を買って今年は撒くことを決意しました。

そして種となる大豆を買いに親父が行っていた種売りのお店へ記憶頼りに行ってみることにしました。

何も知らない自分、大豆はいつ頃売りに出されるかを訊いたところ、4月中旬であることを聞き、そんなことなら前もって電話で聞いておけば良かったかなと少し反省、それでもせっかく来たのだからと、ひまわり🌻とスイカの種を買わせていただきました。

そして、帰りに引き戸を閉めようとした時に、

親父のことを思い出し、ダメ元で、10年以上前、親父がこちらで種を買わせていただいていたことを話しました。

その話の後、奥さまが何となく覚えていると言われたので、社交辞令かなと思った刹那、親父の名前をフルネームで、それも正確に発せられました。

正直、びっくりしました。亡くなって3年、10年以上前のことを家族や親戚、町内の人でもなく、ここに親父のことを覚えていてくださる方がいる。

予想外の状況にジーンと胸が熱くなりました。そして、これからもタネを買う時はお付き合いさせていただこうと自分に約束した次第です。

今日も佳き日に

コーチミツル

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