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“木々も植物も…”のあとは何が来ると思いますか?
その続きは”生きている”です。あたりまえのことを言っているじゃんと思われるかもしれません。ですが、木々も植物は漠然とは生きていると思ってもそれを間近に感じることって瞬間瞬間では無いと思いませんか?
何で生きていることを感じ難いかというと、人間の動きに比べて木々や植物ははるかに動きが遅いからではないかと思います。
例えば、ツバメやネズミのあたりまえの動きに比べれば人間の動きって、
人間から見たダンゴムシぐらいの速さかもしれません。(笑) 当然、動物も植物もそれぞれ独自のスピードがあります。そして、個々の持っている速度と比較しての相対速度がそこにあります。なので植物が生きているという実感がない理由は、人間と植物の速さを比較しての相対速度が明らかに違うからだと思います。
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そんな中、植物も知恵を持って生きていることがわかる事例が家の玄関にありました…。
ウチの家の玄関前に大きな鉢にソテツを植えています。たぶん、親父が植えてから20年近くウチの玄関でお客さまを迎えていることになるかと…。
ところが、20年近くずっと元気だったソテツですが、3年前親父が亡くなった年に葉が枯れてしまい、2年間枯れたままでもうダメだと思う時期がありました。
ずっと家の玄関を飾ってくれていたソテツ…。諦めかけて鉢を処分することも考えましたが、親父が大切にしてきたソテツを何としても復活してほしいと思い、ネットを調べ鉄分補給に釘を何本か土に刺したり、朝出勤するたびに元気になってほしい蘇ってほしいと声をかけ続けました。
すると…
3年越しに小さな柔らかな葉が出てきました…。その時は本当に嬉しかった。植物の生命の尊さに感謝したことを今でも鮮明に覚えています。
あれから1年、ソテツは以前に増して別の場所からも葉を出し元気に育っています。加えて、そのソテツは常に考えて生きているのだと感じています。
20年前から今日まで、
ずっと玄関の軒下に鉢植えで四季折々の経験を積み重ねてきた我が家のソテツ。今朝も雪が降りましたが、普通なら植物や木は太陽に向かって成長するはずなのに、その経験の中で、屋根から落ちる雪を避けるように、木を雪で折られるのを防ぐように軒下を上手に使って育っている我が家のソテツ。
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その成長する瞬間の動きを見ることはできませんが、この姿を見て木々や植物は生きるために意志を持っていると感じずにはいられませんでした。
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今日も佳き日に
コーチミツル