「今日は雨か…」
かつてはどこかネガティブに感じていたこの言葉も、最近では「今日はどんなふうに過ごそうかな」と、楽しみに変わってきました。
“晴耕雨読(せいこううどく)”という言葉に出会い、自分なりに向き合っていく中で、天気に逆らわず、今この瞬間にできることを大切にする——そんな時間の使い方が心地よく感じられるようになってきました。
今日はこの“晴耕雨読”という言葉の語源と共に、休日の過ごし方を少し立ち止まって考えてみたいと思います。
晴耕雨読の語源と原文
この言葉の由来は、中国・唐代の詩人、**賈島(かとう)**による詩にあります。
原文は以下のような一節です:
晴耕雨読図(せいこううどくず)より
晴耕雨読不知年
静坐閑看白鷺天
(意訳:晴れた日は田畑を耕し、雨の日は読書にふける。年の経つのも忘れるような、静かでのどかな暮らしの中で、白鷺が舞う空を眺めて過ごす。)
「不知年(年を知らず)」という部分に、時間に縛られない自由な暮らしの美しさが込められています。
今の自分にとっての「晴耕雨読」
自分にとってこの言葉は、まさに目指したい休日の過ごし方そのもの。
晴れた日には畑へ出て、自然とふれあい、汗をかいて作物と向き合う。
雨の日には、その恵みに感謝しつつ、家の中で本を読んだり、学びを深めたり。
「どちらの天気が良いか」ではなく、「どちらも心地よい」そんなふうに感じられるようになってきました。
雨の旅行も、気持ちの持ちようで豊かになる
以前、マイコーチの渡邊照子コーチが松江に来られた時のこと。
あいにくの雨模様でしたが、友人がカラフルな傘を用意してくれて、みんなでその傘を差しながら松江城の周りの椿の並木を歩いたのがとても印象に残っています。
「今日は雨か…」ではなく、「今日はどんなふうに楽しもうか?」——
その心の姿勢ひとつで、同じ雨の日でも体験が全く違ったものになることを実感しました。
過ごし方に余白を持つということ
たとえば、旅行でスケジュールをぎっしり詰め込むよりも、天気や状況に応じて柔軟に予定を変える余裕があると、むしろ深く記憶に残る体験になることがあります。
雨が降ったから、外を歩くのではなく、ろくろを回して陶芸を体験してみたり、静かな館内で展示物をじっくり眺めてみたり。
その日の状況を見て、自分の心と相談しながら過ごす——それこそが、自分にとっての“晴耕雨読”であり、“ウェルビーイングな休日”なのかもしれません。
自然リズムと幸福感
ハーバード大学の研究(Kuo & Sullivan, 2001)によれば、自然に接することはストレスを軽減し、集中力や回復力を高める効果があるとされています。
また、天気や季節の移ろいに合わせて過ごす人々は、主観的幸福度が高いという報告もあります(Capaldi et al., 2014)。
つまり、「今日は雨だからできない」ではなく、「今日は雨だからこそ、できることがある」と考えることが、心の健やかさにつながるのです。
晴耕雨読——それは、
天候と心の声に耳を傾けながら、今の自分に合った時間の使い方をすること。
それぞれの瞬間に意味を見出し、その日の“自然”に寄り添って過ごすことができたなら、どんな天気も豊かな一日に変わっていくはずです。
雨の日の読書、晴れの日の畑、カラフルな傘とともに歩いた松江の街。
そんな時間のすべてが、自分にとっての“最高の休日”であり、“ちょうど良い暮らし”です。

今日も佳き日に
コーチミツル