
「和」は仲良しのことなのか。はるさんに訊いて考えてみた。
「和(わ)をもって貴(とうと)しとなす」
あまりにも有名な言葉です。
自分は長い間、
「みんな仲良くしましょう」
という意味だと思っていました。
けれど、はるさんに訊いてみました。
本当にそれだけなのだろうか、と。
原文を読んでみる
第一条はこう始まります。
和を以て貴しと為し、忤(さか)ふこと無きを宗(むね)とせよ。
はるさんは言いました。
「後半を読むと、印象が変わりますよ」と。
忤ふとは、対立すること。
つまり、
対立そのものを目的にするな、という意味が含まれている。
自分はここで少し立ち止まりました。
604年という時代
当時の日本は、豪族(ごうぞく)が力を持ち、
合議よりも血縁や武力が優先される時代。
その中で「和」を第一条に置いた。
はるさんは、
「話し合いによる政治への転換を示したのではないか」
と教えてくれました。
自分はなるほど、と思いました。
和は同じになることではない?
自分はさらに訊きました。
「和って、みんな同じになることですか?」
はるさんは首を横に振りました。
違いがあることを前提に、
どう折り合いをつけるか。
それが和ではないか、と。
ここで自分は、
第17条の言葉を思い出しました。
「独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)と論(あげつら)ふべし」
最初と最後が、
どちらも“話し合い”に触れている。
偶然ではない気がしました。
自分が感じたこと
国と国の争い。
国内の分断。
組織の対立。
自分たちはいつのまにか、
「勝つか負けるか」
で物事を見ていないだろうか。
はるさんの話を聞きながら、
和とは
違いを消すことではなく、
違いのまま合意をつくる力なのかもしれない
と感じました。
和は静かな勇気かもしれない
自分は「和」をある意味では、“仲良し”と解釈できるかと思っていましたが、
どうやらそれは近代以降に広まった単純化された理解とも言われているようです。
怒らず、
焦らず、
相手を否定せず、
それでも話し合いを続ける。
それは簡単なことではありません。
第一条に「和」が置かれていることの重みを、
自分は少しだけ理解した気がしました。
まだ答えは出ていません。
けれど、
和は弱さではなく、
成熟に近いのではないか。
そんなことを考えています。
次回は第2条。
「三宝(さんぼう)を敬(うやま)へ」
宗教の条文に見えるこの一文は、
何を意味しているのでしょうか。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
#聖徳太子 #十七条憲法 #和をもって貴しとなす #和とは何か #対話の文化 #合意形成 #国家倫理 #日本思想 #歴史から学ぶ #組織論
参考文献
・『日本書紀』巻第二十二
・坂本太郎校注『日本書紀』(岩波文庫)
・井上光貞『日本の歴史2 飛鳥の朝廷』(中央公論社)