50.やめるということ

ブログ内容を朗読しています

先日母が亡くなり、少なくとも四十九日までは喪に服するということで皆様にはご迷惑をおかけすることになり様々なイベントを欠席させていただいています。

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お断りしたものには

お断りしたものには、毎月恒例のジャズセッション大会、退職される方への激励会、2つのバンドの新年会などがありました。(幹事も仰せつかっていた新年会もありましたが、皆さんに事情を理解していただきました。)

そんな中、今日の明け方に思い浮かんで家族と相談したのが、ずっと前から楽しみにしていた劇団四季のミュージカルCat’s広島公演とこれも前から依頼して工事日が決まっていたトイレのリフォーム。昨日の夜までは、計画していたことであり問題ないと思っていたのですが、寝起きにやめた方がいいのではないかとの想いが急に湧き出し、どちらも家族や相手先の理解を得て、劇団四季についてはキャンセル、リフォームについてはリスケジュールとなりました。(劇団四季については、キャンセル料を覚悟していましたが、日帰りの旅行ということで10日の余裕がありギリギリ支払わなくてもOKでした。)

以前「28.行動変容(こうどうへんよう)って言葉を聞いたことありますか?」

以前「28.行動変容(こうどうへんよう)って言葉を聞いたことありますか?」の中で行動変容には4つありその中に「やめる」という行動もあることをお伝えしました。ただ、コーチングでいう「やめる」は悪い習慣であったり、無駄なものを無くすという意味で「やめる」という行動変容を起こしているのに比べ、今回の場合は、ある意味、制終了であり、コーチング的には全く違うものとなります。

そんな強制終了の中、自分がどんな気持ちになったかと考えたときに、楽しみにしていたものや準備していたものができないことへの不満というか諦めというか居心地の悪さを感じるのかと思っていましたが、一遍もそのような気持ちがない自分がいることを知りました。例えて言えば冬の寒い中、たまに晴れた日のようにキリッとした雲一つないような気持ちです。

どうしてなんだろうと自問しても答えは見つかりません

どうしてなんだろうと自問しても答えは見つかりませんが、やめるということに潔さというか清々しい(表現が悪いのかもしれませんが)気持ちさえ感じるように思います。自分はどちらかというと何かしていないと気が済まないタイプで空いているスケジュールを埋めて、何かしら活動をしていることが多いのですが、今回、外に向けて出ていく活動をやめて、じっくりと亡くなった母のことや足元を見つめたり想いを馳せたりすること、自分自身を見つめたりすることという価値を見つけたようにも思います。

そんな、母に対して想いを馳せたときに、思いついてラッパを吹いてみました。フリューゲルホーンというラッパですが良かったら聴いてください。

実はこうやってブログを書いている最中も飲み会の誘いがありましたが、事情を説明して断りました。飲み会は、喪が明けてから次回自分で企画させていただきますので、お許しくださいね。

今日も佳き日に
コーチミツル

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