美しい夕日が、当たり前になる
毎日、美しい夕日を見ることができる町に住んでいたとします。
初めてその景色を見たときには、思わず足を止めてしまうほど感動したかもしれません。
「なんて美しいんだろう」
ところが、その場所に長く住んでいると、いつしか夕日が沈む景色は日常の一部になっていきます。
昨日も見た景色。
今日も見られる景色。
明日もきっと見られる景色。
そして、ある日、遠くから訪れた人がその夕日を見て感動している姿に出会います。
「こんなに美しい景色が毎日見られるなんて、素晴らしいですね」
その言葉を聞いて、改めて景色を眺めてみる。
すると、自分がいつの間にか、その美しさを当たり前のものとして受け止めていたことに気づくのです。
景色が変わったわけではありません。
変わったのは、その景色を見る自分の意識だったのかもしれません。
人は慣れる生き物
心理学には「馴化(じゅんか)」という言葉があります。
同じ刺激を繰り返し経験することで、その刺激に対する反応が次第に小さくなる現象です。
たとえば、新しい時計を買ったときには、そのデザインが気になって何度も眺めていたのに、しばらくすると腕につけていることさえ意識しなくなる。
新しい家に引っ越したときには、窓から見える景色が新鮮だったのに、毎日暮らすうちに気に留めなくなる。
こうした変化は、特別なことではありません。
人間が日々の刺激に慣れていくのは、自然な働きです。
また、幸福感については、よい出来事や環境の変化による喜びが時間とともに落ち着いていく「快楽順応」という考え方もあります。
慣れること自体が悪いわけではありません。
むしろ、慣れるからこそ、毎日の生活を落ち着いて送ることができます。
ただ、その一方で、身近にある幸せや美しさを感じる機会まで減らしてしまうことがあるのではないでしょうか。
身近な人の魅力も同じかもしれない
これは景色だけの話ではありません。
家族や友人、いつもそばにいる人との関係にも、似たようなことがあるように思います。
初めて出会ったときには、その人の笑顔や優しさ、何気ない言葉に心を動かされたかもしれません。
ところが、一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、その存在が当たり前になっていく。
毎日の挨拶。
何気ない会話。
食事を共にする時間。
困ったときに助けてくれること。
本当はどれもありがたいことなのに、いつしか特別なこととして感じなくなってしまう。
そして、何かのきっかけで、その大切さを改めて知ることがあります。
身近にいるから価値が小さくなるわけではありません。
近くにありすぎて、意識を向けなくなっているだけなのかもしれません。
木を見るのではなく、葉を見る
以前、絵を描くことについて考えたことがありました。
たとえば、目の前に一本の大きな木があったとします。
普段は「あそこに木がある」と認識するだけで通り過ぎてしまいます。
しかし、その木を絵に描こうとすると、見え方が変わります。
葉はどんな形をしているのか。
一枚一枚の葉は、どちらを向いているのか。
緑色に見えていた葉にも、光が当たる部分と影になる部分では、微妙な色の違いがあります。
幹の表面にも、枝の伸び方にも、それまで気づかなかった表情があります。
絵を描く技術があるかどうかは、関係ありません。
大切なのは、描こうとすることで、これまで見過ごしていたものに目が向くということです。
同じ木を見ていても、どこに意識を向けるかによって、見える世界は変わる。
これは、日常生活にも通じることではないでしょうか。
音楽を味わう時間
自分にとって、音楽も大切な時間です。
トランペットを練習しているとき、目の前の音に集中しています。
息の流れ。
唇の振動。
音の響き。
そして、仲間と音を合わせる楽しさ。
演奏している間は、ほかのことに意識を向ける余裕がありません。
スマートフォンを見ることもなく、ただ、その瞬間の音と向き合っています。
同じ曲を何度も演奏していても、毎回まったく同じというわけではありません。
今日はこんな音が出た。
昨日は気づかなかった響きがある。
仲間の演奏から、新しい発見が生まれる。
繰り返しているからこそ気づけることもあります。
慣れることで感動が薄れる繰り返すことで、より深く味わえる場合もある。
この違いは、どこから生まれるのでしょうか。
自分は、その瞬間に、どれだけ意識を向けているかが一つの鍵になるのではないかと思います。
アンテナを張るということ
自分は日々の生活の中で、ふと心に引っかかったことや、小さな気づきを大切にしたいと考えています。
大きな出来事でなくても構いません。
いつもの道に咲いている花。
夕日に照らされた雲。
家族の何気ない笑顔。
誰かのさりげない親切。
毎日の暮らしには、意識を向けなければ通り過ぎてしまうものがたくさんあります。
それらを無理に探そうとするのではなく、心に引っかかった瞬間に少し立ち止まってみる。
「今、何を感じたのだろう?」
「なぜ、心が動いたのだろう?」
そんなふうに、自分の感覚に耳を傾ける。
自分にとって、それが日常にアンテナを張るということなのかもしれません。
当たり前の中にあるWell-Being
自分が考えているWell-Being Spiralでは、自分の内側から湧き上がる思いや、日々の気づきを大切にしています。
幸せは、必ずしも新しい何かを手に入れることで生まれるとは限りません。
すでにあるものの価値に、改めて気づくことでも感じられるのではないでしょうか。
もちろん、新しい体験や挑戦も素晴らしいことです。
しかし、今あるものに目を向けることなく、次から次へと新しい刺激だけを求めていては、身近な豊かさを見過ごしてしまうかもしれません。
今日の夕日は、昨日とは違う夕日です。
いつも顔を合わせる人も、昨日とまったく同じではありません。
見慣れた木の葉も、季節や光によって表情を変えています。
その小さな違いに気づくことが、日々の豊かさにつながるのだと思います。
もう一度、見つめてみる
毎日見ているからこそ、見えなくなっているもの。
いつもそばにいるからこそ、気づかなくなっているもの。
そんなものが、自分の周りにもたくさんあるように思います。
もし、いつもの景色が当たり前になっていたら、少し立ち止まって眺めてみる。
身近な人の存在が当たり前になっていたら、その人の笑顔や優しさに改めて目を向けてみる。
今まで一つの緑色にしか見えていなかった木の葉を、もう少し丁寧に見てみる。
そうすることで、見慣れた世界の中に新しい発見が生まれるかもしれません。
美しさがなくなったのではなく、美しさに気づく機会を失っていただけなのかもしれません。
慣れた日常の中にある小さな幸せを、もう一度味わってみたいと思います。
いつもの景色や身近な人の中にある、かけがえのない価値に気づく喜びが、誰かの心に届きますように。
今日も佳き日に
コーチミツル

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