658.「見えない」のか、「見えていない」のか

以前、「目に見えるものと見えないもの」というブログを書いたことがあります。

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風そのものは目には見えません。
でも、木の葉が揺れたり、頬に風が当たったりすることで、そこに風があることがわかります。

最近、この「見えない」ということについて、もう少し考えるようになりました。

「見えない」は目だけの話

考えてみれば、「見えない」というのは視覚についての言葉です。

音は目には見えません。
でも、耳で聞くことができます。

匂いも目には見えません。
でも、鼻で感じることができます。

風も見えませんが、肌で感じることができます。

私たちは目だけで世界を感じているわけではありません。

目、耳、鼻、舌、皮膚。

いわゆる五感を使いながら、そこに何があるのかを感じています。

そう考えると、「見えないから、ない」というのは、少し違うように思えてきました。

人間が受け取れる範囲には限界がある

さらに考えてみると、私たちの感覚には、それぞれ受け取れる範囲があります。

例えば、人間の目には見えない紫外線や赤外線があります。

音も同じです。

人間の耳では聞くことのできない高い音や低い音がありますが、それを感じ取ることのできる動物もいます。

つまり、そこに存在していても、自分の感覚器官では受け取れないものがあるということです。

だとすれば、

「自分には見えない」

ということと、

「そこにはない」

ということは、同じではないのかもしれません。

同じ音を聴いていても、同じようには聴こえていない

これは特別な話ではなく、身近なところにもあります。

例えば絶対音感。

自分には絶対音感はありません。

ところが絶対音感を持っている人の中には、音程が少し違っているだけでも、とても気持ち悪く感じる人がいると聞きます。

同じ音を聴いているはずなのに、感じ取っているものが違う。

自分にも、トランペットを吹いていて忘れられない経験があります。

熱田修二師匠の兄弟船の前奏のラッパの音色を聴いたとき、

「金粉が舞い落ちてくるような音だ」

と感じたことがあります。本当です!!

もちろん、実際に金粉が見えたわけではありません。

でも自分には、そう表現するのが一番近い感覚でした。

また、ラッパのセクション練習をしていたときには、それぞれが出している音が、

「溶け合っていく」

ように感じたことがあります。

音は目には見えません。

「金粉」も「溶け合う」も、本当に目の前で起きているわけではありません。

それでも自分の中では、確かにそう感じたのです。

人にはそれぞれ違う「アンテナ」があるのかもしれない

そう考えていくと、人間にはそれぞれ、自分なりの「アンテナ」のようなものがあるのではないかと思うようになりました。

音に敏感な人。

匂いに敏感な人。

表情のわずかな変化に気づく人。

その場の雰囲気を敏感に感じる人。

自然の小さな変化に気づく人。

逆に、他の人にはすぐわかることが、自分にはまったくわからないこともあります。

同じ場所にいて、同じものを見て、同じ音を聞いていたとしても、受け取っている世界は少しずつ違うのかもしれません。

「信じる」「信じない」の前に

ここで自分が言いたいのは、「目に見えないものは何でも信じよう」ということではありません。

感じたことと、客観的な事実とは分けて考える必要があります。

でも反対に、

「自分には見えないから、そんなものはない」

と決めてしまうのも、少し早いような気がします。

自分には感じられない。

でも、別の人には感じられる。

もしかすると、それはその人が持っている感覚や、これまで積み重ねてきた経験によって、受け取れるものが違うからなのかもしれません。

そんな余白を持っていてもいいのではないでしょうか。

アンテナは磨くことができるのか

そして、もう一つ思うことがあります。

自分のアンテナは、ずっと同じなのでしょうか。

トランペットを始めたばかりの頃と今とでは、おそらく自分が音から受け取っているものは違います。

自然栽培を始めてから、以前ならただの草として見ていたものに目が向くようになりました。

神社に足を運ぶことが増えれば、季節による空気や木々の変化にも気づくようになります。

人と向き合うことを続けていれば、言葉だけではなく、表情や間、声の調子から感じることも増えていきます。

だとすると、自分のアンテナは経験によって少しずつ磨いていくことができるのかもしれません。

「ない」のではなく「まだ気づいていない」

世の中には、目に見えるものがあります。

目には見えないけれど、耳や鼻、身体で感じられるものもあります。

そしてもしかすると、今の自分の感覚では、まだ受け取れていないものもあるのかもしれません。

だから、自分にはわからないものに出会ったとき、

「そんなものはない」

とすぐに閉じてしまうのではなく、

「自分には、まだわからない」

くらいにしておく。

そして、ときどき自分のアンテナを研ぎ澄ませてみる。

目で見る。

耳を澄ます。

匂いを感じる。

身体で感じる。

そして、自分の心がどう動いたのかにも耳を傾ける。

世界が、自分に見えている範囲だけでできているとは限りません。

「見えない」のではなく、

自分には、まだ「見えていない」だけなのかもしれません。

この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・

今日も佳き日に
コーチミツル

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