
見慣れない画像との出会い
先日、フェイスブックを開いたときのことです。
「3年前の今日」という表示とともに、
いくつかの見慣れない神社の画像が並んで現れました。
最初は、正直に言って戸惑いました。
「こんな神社、行っただろうか」
そう思いながら、画面をしばらく眺めていました。
それらは、三年前、神戸を訪れ、
帰る日の朝に写した神社の画像でした。
思い出した、というよりも
しばらく見ているうちに、
少しずつ感覚がつながってきました。
思い出した、というよりも、
向こうから、そっと近づいてきた。
そんな感覚でした。
確かに、自分はそこに立ち、
シャッターを切っていた。
その事実だけが、静かに残っていました。
同じ三年前でも、残り方は違う
不思議だったのは、
同じ三年前の出来事でも、
はっきり覚えていることと、
ほとんど意識に上がってこなかったことが、
くっきり分かれていたことです。
同じ頃、
黒田卓也さんのライブに行き、
終演後に少し言葉を交わした記憶は、
今でも驚くほど鮮明に残っています。
音の余韻。
その場の空気。
胸の奥に残る高鳴り。
一方で、
同じ旅の中で立ち寄っていたはずの神社の記憶は、
画像を見るまで、ほとんど浮かんできませんでした。
「忘れていた」とは少し違う感覚
これを「忘れていた」と言ってしまえば、
それまでなのかもしれません。
けれど、
忘れていたように感じていただけで、
実際には、消えていたわけではなかった。
そんな気もしています。
出来事は、
確かに起きていて、
確かに自分の中に刻まれていた。
ただ、その出来事が
今の自分に語りかけてくる場面が、
まだ訪れていなかった。
それだけだったのかもしれません。
記憶は、きっかけを待っている
記憶というものは、
しまわれたり、
遠くに置かれたりしながら、
何かのきっかけを待っている。
そして、
ふとした拍子に、
思いもよらない形で
戻ってくることがある。
今回の神社の画像は、
自分にとって、
その「きっかけ」だったように思います。
同じ話を繰り返す理由
子どもの頃、
大人たちが同じ話を何度も繰り返すのを聞いて、
不思議に思っていました。
「どうして、またその話をするのだろう」と。
今なら、少し分かる気がします。
出来事を繰り返しているのではなく、
その時々の自分の立ち位置から、
同じ出来事を見直している。
そんなことなのかもしれません。
以前に書いたこと
以前、
「忘れること、忘れないこと」について
書いたことがあります。
👉
146. 忘れること、忘れないこと
https://coach-mitsuru.com/archives/2249
語られる番を待っていた出来事
見慣れない神社の画像は、
確かに、自分の旅の一部でした。
忘れていたのではなく、
思い出すタイミングが、
まだ来ていなかった。
そう考えると、
「忘れる」という言葉も、
少し違って見えてきます。
もし、あなたの前にも
ある日ふいに、
見覚えのない過去の一場面が現れたとしたら、
その出来事は、今のあなたに
どんなことを語りかけてくるでしょうか。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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