431.第1回【全5回シリーズ】自由の限界(合理と信頼のあいだで、自分はどう判断するか)


30年前に学んだ「構造」が、いま静かに重なった

上田良文教授に教わった、経済という哲学

最近の予測不能な世界情勢を見る中で、
30年前のゼミの空気を思い出しました。

それは大きなニュースを見た瞬間というより、
「人はなぜそう判断するのか」と考えたときでした。

ああ、これはあのとき学んだ構造だ、と。


経済はお金の話ではなかった

自分は高校を出てからすぐに働いていましたが、

幸運なことに社内に国内留学の制度があり、広島大学経済学部で
再び勉強する機会をいただくことになり、

経済学部の上田良文教授のゼミに入らせていただきました。

公共経済学。

名前だけ聞けば、制度や政策の話に思えます。
けれど、教授が何度も問いかけてくださったのは、

「人はなぜそう選ぶのか」

ということでした。

経済は数字の動きではなく、
人の判断の積み重ねでできている。

合理とは何か。
自由とは何か。
協力はなぜ続きにくいのか。

それは、哲学の時間でもありました。


『自由の限界』という問い

上田先生がゼミ生のために教材として選んだのが、
ジェームズ・M・ブキャナンの
『The Limits of Liberty(自由の限界)』です。

自由には限界がある。

若かった自分には、
どこか窮屈に聞こえました。

自由は多いほうがいい。
制限は少ないほうがいい。

そう思っていたからです。


無政府という自由は、本当に自由か

ゼミで扱われた一つの問いがあります。

もし政府がなければ、どうなるか。

一見すると、
完全な自由のように思えます。

けれど実際は、

誰が約束を守らせるのか。
誰が秩序を保つのか。
誰が弱い立場を守るのか。

常に疑い、
常に警戒し、
自分で自分を守らなければならない社会。

それは自由というより、緊張です。

だから人は、
ある程度の制限を受け入れる。

安心と引き換えに。


強さは悪ではない

ここで出てくるのが「政府の強さ」です。

秩序を守るための強さ。
ルールを維持するための強さ。
社会を安定させるための強さ。

それは必要です。

問題になるのは、
その強さがどこを向いているか。

一部の権力者の私利私欲に向いたとき、
守る存在が自らの利益のために動き始めたとき、

その姿をブキャナンは
「リバイアサン※」と表現しました。※「海の怪物」という意味の言葉

巨大な海の生物

怪物になるのは、強さそのものではない。
強さの向きなのだと。


なぜ今、思い出したのか

30年前に学んだことが、
いま自分の中で静かに立ち上がっています。

世界の動きというよりも、
自分たちの身近な判断の中に、
同じ構造を感じたからです。

譲るか。
主張するか。
信頼するか。
距離を置くか。

小さな選択の積み重ねが、
社会の形をつくっていく。

経済とは、お金の話ではなく、
人の選択の哲学だった。

あの講義で教わった視点を、
いま改めて、自分の言葉で考え直してみたい。


これから全5回で、

・譲る人が疲れてしまう構造
・協力が揺れる仕組み
・信頼が生まれる土台
・そして、自分はどう判断するのか

を丁寧にたどっていきます。


次回予告

第2回は、
「譲る人が疲れてしまう構造」を、
フリーライダーという視点から考えます。


この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル

#自由の限界 #公共経済学 #経済哲学 #上田良文 #ブキャナン #リバイアサン #合理的経済人 #秩序と自由 #コーチミツル

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