383.また、この問いに戻ってきた(堂々巡りではなく、らせんの途中にいるという感覚)

朝、ふいに立ち上がってきた問い

今朝、目が覚めたとき。
ふいに、独り言のように、こんな問いが浮かびました。

「自分は、何のために生きているんだろう」

この問いは、初めてではありません。
これまでのブログでも、「目的」「生きる意味」「自分らしさ」といったテーマで、何度も書いてきました。

だから正直に言うと、
また同じところに戻ってきたような感覚もあります。

堂々巡りしているようで、どこか違う

頭の中では、分かっているつもりです。
目的と目標の違いも、
意味は後から育つものだということも、
問いは一生続くものだということも。

それでも、
腹の底から「これだ」と落ちている感じがしない。

以前は、この感覚を
「まだ分かっていないからだ」と考えていました。

今は少し、違う捉え方もできる気がしています。

これは、
同じ場所をぐるぐる回っている「堂々巡り」ではなく、
同じ問いを、違う高さから見ている“らせん”なのではないか、と。

人は、直線ではなく、らせんで進む

大切なテーマほど、
一度で腑に落ちたことはありませんでした。

何度も考え、
何度も言葉にし、
そのたびに「まだ違う」と感じる。

発達心理学では、人の意味づけは直線的に進むのではなく、
同じテーマを再訪しながら深まっていくとされています。

戻っているように見えて、
実は少し高いところから、同じ景色を見直している。

今の自分は、まさにその途中にいる気がします。

この問いは、実は以前にも一度、正面から書いていました。

📌 過去記事:
246. 自分は、何のために生きているんだろう?(今朝、目覚めとともに届いた“本当の問い”)
https://coach-mitsuru.com/archives/246

ただ、同じ問いでも、あのときと今とでは、立っている場所が少し違うように感じています。

頭では分かっている。でも、腹には落ちていない

これまでのブログは、
どちらかというと「頭で分かろう」とする営みでした。

構造化し、整理し、意味を与える。
それは必要なプロセスだったと思います。

ただ、
「何のために生きているのか」という問いは、
本来、頭だけで答えが出るものではありません。

誰といるときに、
何をしているときに、
体のどこが、少し緩むのか。

身体の感覚のほうが、先に答えを知っている
今朝、この問いが考える前に浮かんできたこと自体、
問いが“思考”から“生”に近づいてきた証なのかもしれません。

これまで「目的」については、頭で整理する形で何度も向き合ってきました。

📌 関連記事:
32. 目的・目標・Goalについて
https://coach-mitsuru.com/archives/758

あの整理があったからこそ、今は「分かっているのに腹に落ちない」という段階に来ているのだと思います。


行動の断捨離をして、残したいものが見えてきた(追記)

悔いを残さないための「行動の断捨離」

最近、自分の中で
行動の断捨離を意識しています。

惰性で続けていることを減らす。
本当にやりたいことに、時間とエネルギーを使う。
あとから悔いが残らないように、生き方を整える。

これは、とても大切な作業だと感じています。

ただ、その過程で、
もうひとつ、手放せないものにも気づきました。

大切な人とのつながりは、むげにできない

それは、
大切な人とのつながりです。

行動を軽くしていく一方で、
関係性まで切ってしまいたいわけではない。

このバランスは、
今の自分にとって、とても重要なテーマになっています。

「自分が行きたい」から「一緒に愉しめる」へ

たとえば、旅行。

以前なら、
「自分が行きたいから行く」
という発想が、まず最初にありました。

最近は、問いが一つ増えています。

「大切な人と、お互いに愉しめるとしたら、どこがいいだろう

この問いを、一度は必ず通すようになりました。

自分を抑えているわけでも、
相手に合わせすぎているわけでもありません。

自分の人生を大切にしながら、関係性も同時に大切にしたい
ただ、それだけです。

「一人で行ってきたら?」と言われたら

もちろん、
「それなら、一人で行ってきたら?」
と言われることもあります。

そのときは、
素直にそうします。

一人で行くことも、
誰かと行くことも、
どちらが正解という話ではありません。

大切なのは、
関係性を切らずに選択しているかどうか

自分のやりたいことを優先するために、
誰かを置き去りにしない。
かといって、
誰かのために、自分を押し殺さない。

その間を、丁寧に行き来している感覚があります。


答えが出ないまま、生きていくという選択

もし、
「自分は何のために生きているのか」という
完璧な答えが見つかったとしたら。

それはそれで、
少し息苦しい気もします。

問いがあるから、立ち止まれる。
問いがあるから、修正できる。
問いがあるから、関係性を雑に扱わずにいられる。

腹落ちしていない今の状態も、
未完成なのではなく、進行形

らせんの途中にいるだけなのだと思います。

最近は、「何を成し遂げるか」よりも、
「どんな感覚が残るか」に意識が向くようになりました。

📌 関連記事:
360. 心の記憶を残すという生き方(ちいさな私たちにできること)
https://coach-mitsuru.com/archives/4282

生きる意味は、答えとしてではなく、記憶や関係性の中に残っていくものなのかもしれません。

今日のところは、問いを置いたままで

この問いに、
今日、明確な答えを出すつもりはありません。

ただ、

  • 今日一日をどう過ごすか
  • 誰と、どんな時間を分かち合うか
  • 夜、少しでも「まあ悪くなかった」と思えるか

その積み重ねの中で、
問いは静かに、腹のほうへ降りていく。

そう信じています。

また、きっと戻ってくるでしょう。
でもそのときも、
同じ場所ではなく、
また少し違う高さから。

今は、
らせんの途中にいる自分を、
そのまま認めておこうと思います。


あなたは今、どんならせん階段を上っていますか?

今日も佳き日に

コーチミツル

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