最近は、食べログとかのグルメサイトでいろいろ美味しい店を評価していますが、皆さんは美味しいとか美味しくないって言われることがありますか?
では、美味しいとか美味しくないとかの基準って何ですか?
たぶんそれは、料理を食べる自分の味覚を中心とした五感による感想になるのかと思います。
例えば外国の料理を美味しく感じたり不味く感じたりすることもあるわけですから、それは、これまで育ってきた環境や好みによって傾向はあるにせよ誰一人全く同じように感じるわけがないと思います。
ところで、美味しくないと同じような使い方で”まずい”ってありますが、
調べてみたところ、この語源は「貧しい」からきているようで”足りないと”か”不足している”という意味から生じた言葉だそうです。
では、味として何かが足りないとか不足しているっていうのは、どこからきているのでしょうか?
おそらく5つの基本味である”甘味””塩味””酸味””苦味””うま味”の中で不足している味を誰かが判断するかってことなんですけど、やっぱりそれは食べる人がどう感じるかによるわけで、結局食べる人の主観に左右されるということになりますよね。
となると、美味しいも不味いも食べる側の勝手な言い分にも思えてきました。万人が美味しいと思える料理は、実は、味が濃くて、腎臓が必死になってろ過するような身体にはあまりよくないものかもしれません。そんなこともあり、自分は美味しいと感じるときには”美味しい”と言って、仮に自分の口に合わないと感じるときがあれば自分の味覚と違うって感じて、不味いとは言わず黙っておけばいいのかなと思います。(というか、自分は不味いモノっていうものをあまり感じません)
もしそれを美味しくないと言ったら、確かに自分の味覚の美味しさと違うというのは伝えることができるのかとは思いますが、美味しい料理を提供しようと思った人の気持ちは傍らに置いておくことになりますし、その同じ料理を美味しいと思っている人にとってもその人の味覚を傷つけることにもなるかもしれません。もっと踏み込んで言えば、その料理を美味しくないと思ったなら、新しい味覚を味わうことができて新境地を切り開くことができたんだと感激してもいいのかもしれません。そして、その味が印象的過ぎて癖になる場合もあるかもしれません。(笑)
なので料理は味覚を中心とした評価ではなくて、これからの自分の血肉となる料理の食材等への”命”や”手間ひま”や、作ってくださった方への”気持ち”への感謝を伝えることを大切にすると良いのかなと思っています。
ちなみに、自分がこれまで、一番おいしいと思った食べ物ですが・・・
中学生の時、地元の1300mクラスの山へ登山した際に、山頂で友達から分けてもらった2房の缶詰のミカンの美味しさは小さかった自分の身体に沁み渡り最高でした。あ、料理の話をしていたのに最後は缶詰になっちゃいましたね。(笑)
今までで一番美味しかった食べ物は何ですか?
どうして、それが一番美味しかったんでしょうか?
今日も佳き日に
コーチミツル