先日、テレビ番組「クレイジージャーニー」で、写真家・野村哲也さんが追い続けている
チリ・アタカマ砂漠に咲く花園の映像を観ました。
普段は、ほとんど雨の降らない砂漠。
そこに、数年に一度だけ雨が数回重なったとき、
それまで何もなかった大地が、一面の花で埋め尽くされる——
そんな光景が紹介されていました。

正直に言うと、
「きれいだな」という感想もありますが、
生命を生み出すすごさと言うか、
植物が自分の花を咲かせるタイミングを待つ姿に感動を覚えました。
それは、以前このブログでも書いた
**「啐啄の機(そったくのき)」**という言葉と、
とてもよく似ていたからです。
啐啄の機ということ
啐啄の機とは、
ひなが卵の内側から殻をつつく「啐」と、
外から親鳥がつつく「啄」が、
同じタイミングで起こることで、はじめて殻が破れるという考え方です。
内側の準備だけでもだめ。
外側の働きかけだけでもだめ。
両方が、同時にそろったときに、物事は動き出す。
これまでの人生や、コーチングの現場を振り返ってみても、
「うまくいったと感じる瞬間」は、
ほとんどがこの啐啄の機と重なっているように思います。
砂漠の花も、待っている
アタカマ砂漠の花たちは、
雨が降らない間、何もしていないわけではありません。
種は、土の中でじっと待ちながら、
いつでも芽吹ける準備を整えているそうです。
ただ、準備ができていても、
雨がなければ咲くことはできない。
雨が降っても、条件がそろわなければ、一面の花園にはならない。
だからこそ、
数年に一度の「そのとき」に、
あれほどの光景が生まれるのだと思います。
ここに、啐啄の機の本質を感じました。
待つことは、何もしないことではない
以前のブログでも書きましたが、
「待つ」というのは、決して受け身ではありません。
むしろ、
自分の内側を整え、
経験を積み、
感覚を研ぎ澄ましながら、
来るべきときを迎えるための、とても能動的な時間です。
すぐに結果が出ない時期は、
「自分は止まっているのではないか」と感じてしまうこともあります。
けれど、
砂漠の花を思い出すと、
その時間もまた、
咲くために欠かせないプロセスなのだと、
静かに教えられる気がします。
咲くときは、こちらで決められない
啐啄の機も、砂漠の花も、
共通しているのは、
**「タイミングは自分だけでは決められない」**ということです。
だからこそ、
焦らず、腐らず、
今できる準備を続けていく。
その姿勢そのものが、
次の「機」を迎える力になるのだと思います。
おわりに
砂漠に咲く花園は、
特別な誰かだけに起きる奇跡ではなく、
私たち一人ひとりの人生にも、
かたちを変えて訪れているのかもしれません。
準備が整い、
環境がそろい、
内と外が噛み合ったとき——
静かに、でも確かに、花は咲く。
問いかけ
あなたの今の時間は、
咲くための「待つ時間」でしょうか。
それとも、
すでに啐啄の機が訪れていることに、
まだ気づいていないだけかもしれませんか。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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