363.第1回/8回 静けさの国に降り立つ ― ハーンの第一印象と、松江の朝に流れる空気(ハーンが見た日本、わたしが生きる日本)

はじめに ― なぜこのシリーズを書くのか

ラフカディオ・ハーンが残した文章には、日本の文化や風景を静かに見つめるまなざしがあるように感じています。
自分が暮らしている松江は、ハーンが愛した土地でもあり、その視点を通して自分の生活を見直したいと思うようになりました。
朝のウォーキングで感じる空気、神社掃除で出会う静けさ、地域に残る祈りや季節の行事。
これらは自分にとって日常の風景ですが、ハーンが見た日本とどこかで響き合う部分があるのではないかと感じています。
そこで今回、ハーンの記述を手がかりにしながら、今の松江で自分が感じている空気や気づきを重ねて8回シリーズとして書いてみることにしました。
明治の眼と現在の生活が、どこで重なっていくのかを探していくような気持ちで綴っていきます。

ハーンが見た日本の「静けさ」

ラフカディオ・ハーンが明治の日本に初めて降り立ったときに、一番印象に残ったのは「静けさ」だったと書き残しています。
港町の騒がしさが当たり前だった時代に、日本の街並みは落ち着いた空気をまとっていたのだと思います。

“The first impression of the Japanese city was silence.”
日本の街で最初に受けた印象は、静けさであった。

この言葉には、単なる音の少なさだけではなく、人の営みそのものに漂う雰囲気への驚きが含まれているように感じます。
静けさは空虚ではなく、日本文化の入口のような存在に見えたのかもしれません。

朝ウォーキングと神社掃除で感じる空気

自分は朝ウォーキングをしているときに、ハーンの言葉がふっと思い起こされることがあります。
冬の朝の空気は少し冷たさを感じますが、その中に森の香りのような柔らかい気配が混じっているように思います。
歩くリズムに合わせて深い呼吸を続けていると、冷たい空気の奥にほんのり優しさが漂っているように感じられる瞬間があります。
神社の早朝掃除でも似たような感覚があります。
ほうきを動かすたびに境内の空気が新しくなるように感じて、静けさがすっと広がっていくような気がします。
静けさは寂しさではなく、温度のあるものに包まれているように感じられることがあります。

静けさは“満ちている”もの

ハーンは静けさについて次のようにも書いています。

“Silence was not emptiness, but a presence.”
静けさとは空虚ではなく、存在そのものであった。

朝の松江の空気はまさにこの感覚に近いように思います。
静けさの中には、風や光、木々の気配が満ちていて、そこに“何かがある”と感じられる瞬間があります。

自分とつながる時間としての静けさ

朝の時間は、自分の内側がよく聞こえる時間でもあります。
ウォーキングの足音や吐く息の白さ、ほうきを動かす音など、些細な音が自分のリズムを整えてくれるように思います。
静けさは、ひとりになる時間というよりは、自分とつながる大切な時間なのかもしれません。

松江の朝に息づく静けさ

松江の朝には独特の透明感があるように感じます。
神社の木々を抜ける光、宍道湖から届く風、道に残る夜の名残。
それらが重なり合うと、ハーンが明治の日本で感じた静けさと通じるものがあるように思えてきます。
静けさは文化でもあり風土でもあり、自分の心を静かに整えてくれる力を持っているように感じます。
朝の静けさは、自分にとって今日を始めるための小さな儀式になっています。

次回予告

第2回「地蔵と道ばたの祈り ― 日常に宿る日本の“やさしさ”」
自分の家の前にある古い道に佇む祠やお地蔵さま。
ハーンが感じた“生活の祈り”と、自分の日常での気づきを重ねて綴っていきます。

英語引用の出所

書籍名:Glimpses of Unfamiliar Japan(1894, Lafcadio Hearn)
引用章:Chapter I “My First Day in the Orient”
引用見出し:Arrival and First Impressions of the Japanese City

今日も佳き日に

コーチミツル

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