八重垣神社は、自分の家から歩いて行ける距離にあります。
だいたい2kmくらいでしょうか。
特別に「出かけよう」と意気込む場所ではなく、散歩にでも行くように、ふらりと立ち寄れる神社です。
ランニングをしていた頃、ちょうどここが折り返し地点でした。
境内に入ると、不思議と呼吸がすっと落ち着いていき、本殿に向かってそっと手を合わせ、それから静かに復路につきました。
それは、いつの間にか自分にとっての“整う習慣”になっていました。
子どものころには、写生大会でここを訪れたこともあります。
大きなしめ縄を夢中で描いていた時、どこからともなく 篳篥(ひちりき)の音が聴こえてきて、それに寄り添うように 太鼓の響きが淡く続いていました。
あの、風に乗って届いた音色の感覚は、今でもふと胸に戻ってきます。
それでも長いあいだ、八重垣神社は「家の近くにある普通の神社」という位置づけでした。
特別に意識するでもなく、いつもそこにいてくれる、静かな寄り道のような存在。
それが、自分と八重垣神社の距離でした。
ハーンが描いた、もうひとつの八重垣神社
ところが、大人になってから
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の文章に出会い、
八重垣神社の別の顔を知ることになります。
彼は鏡の池について、次のように記しています。

【Lafcadio Hearn – English Original】
“And because of this belief, many strange things are told regarding the ancient grove which surrounds the shrine,
and the sacred pond into which maidens still cast their divining papers.
It is said that the spirits of trees whisper responses to lovers’ prayers;
that the water of the pond moves mysteriously at certain hours;
and that shapes, like the shadows of people, may sometimes be seen moving across its surface when no living being is near.”
【日本語訳】
この信仰ゆえに、
社を囲む古い森や、乙女たちが占いの紙を浮かべる神池には、
今もさまざまな不思議が語られています。
木々の精霊が恋の祈りにそっと応えることがあるとか、
池の水が特定の時刻に静かに揺れ動くとか、
誰もいないはずの時に“影のような形”が水面を横切ることもある――
そんな言い伝えが残されているのです。
地元で育った自分の目には、この神社は“生活の一部”でしたが、ハーンの眼差しは、ここに流れる古い時間と物語を、
とても繊細に掬い上げているように感じます。
「ばけばけ」にも漂っていた八重垣の空気
最近観ていたドラマ「ばけばけ」でも、八重垣神社は何度か登場しました。
あの作品に流れていた、“目に見えないものの気配”や“縁の不思議”は、まさにこの土地に流れる空気そのもの。
子どものころ写生大会で聴いた篳篥や太鼓の音の記憶とも、どこか重なる感覚があります。
生活と神話が、ほんの薄い膜を隔てて隣り合っている――
そんな出雲らしさを、あのドラマはうまく描いていたように思います。
身近だからこそ、あらためて訪ねたい場所
八重垣神社は、家から2kmの“身近な神社”です。
走っていた頃は折り返し地点で、子どもの頃は写生をした場所で、つい最近まではただの「近くの神社」でした。
でも、ハーンの文章やドラマの影響もあって、もう一度あの場所に、別の角度から向き合ってみたい気持ちが
静かに湧いてきています。
実は、鏡の池の占いを自分は一度もしたことがありません。
占いをするかどうかは、その時々の気持ちに任せればいい。
ただ、ゆっくりと池の前に立ってみるだけでも、何か新しい気づきが訪れるかもしれません。
“近くにある普通の神社”。
それでも自分にとっては、心の奥をそっと灯してくれる、大切な場所です。
今日も佳き日に
コーチミツル
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