
昨日未明、寝ていても瞼の裏で感じるほどのまばゆい閃光が走りました。
その直後、大地を揺るがすような雷鳴。
そして粒の大きさが分かるほど力強い雨音。
驚きながらも、不思議と「場が浄化され、きれいに洗い流されている」ような感覚がありました。
自然が自らの力で空気や大地を整えている――そんな思いに包まれた朝です。
朝に唱える天津祝詞(あまつのりと)
自分は去年から、床の間に備えた水・塩・酒、そして掛け軸に向かって毎朝、天津祝詞(あまつのりと)を唱えています。始めたきっかけは、伊勢神宮にお参りをして天津祝詞を唱えたことから・・・。ほぼ毎日続けています。
不思議なもので、覚えようと思わなくても続けるうちに言葉が自然と体に染み込みます。
そして、祝詞の中には「まがこと罪穢れを祓ひ給へ清め給へ」という一節があります。
“まがこと”は心や行いが正しくない状態、
“罪”は人の過ちだけでなく病や災害など避けられない不浄も含む広い概念、
“穢れ”は「気が枯れる」と書く通り、生命力が弱まった状態を指します。
この言葉を声に出すことで、心とカラダをリセットし、日常の小さな濁りをそっと流してくれる――そんな実感があります。
雷がもたらす清めの力
雷は古くから「神鳴(かみなり)」と呼ばれ、
田畑に雨をもたらす恵みの象徴であり、
同時に邪を祓う力と考えられてきました。
まばゆい閃光と大きな音が空気を震わせ、
自分が“浄化”と感じるのも無理はありません。
科学的に見ても、稲妻は空気を一瞬でイオン化させ、
大気を揺らす衝撃波が自分の五感を刺激します。
この体験が心をすっと軽くするのは、
単なる気のせいではなく、体が反応している証とも言えます。
花火とのつながり
夏の夜空を彩る花火も、
光と音で場を一変させる点では雷と似ています。
中国の爆竹が邪気を払うために使われていたことを考えると、
人々が花火に「場を清める」役割を重ねてきたのは自然なことかもしれません。
雷が自然の祝祭なら、
花火は人が作る祝祭。
どちらも心を解き放ち、空気を一新してくれる力を感じます。
柏手や拍手が生む“パッ”とした空気
もうひとつ、自分が感じているのは柏手(かしわで)や拍手の力です。
神社での二拝二拍手一拝だけでなく、
友人の成功を祝って手を叩く拍手や、ライブ会場の手拍子など――
あの「パッ」と響く音は、周りの空気を一瞬で明るくしませんか?
リズムに合わせて手を打つことで、
自分の体と周囲が“同じテンポ”を持つ。
その一体感が、人を気持ちよくさせ、場を清めるようにも感じます。
神様云々というより、音とリズムがつくる心地よさに近い感覚です。
言葉・光・音が整えるもの
天津祝詞を声に出す行為は、呼吸を整え、副交感神経を優位にする効果があります。
雷や花火、そして拍手の響きは、五感を一気に刺激して心をリセットします。
こうした「言葉」「光」「音」がそろうことで、
自分の心と場は、自然と整えられていくのかもしれません。
おわりに
昨日未明の雷雨は、
自然がもつ圧倒的な力と、
そこに宿る清めの感覚をあらためて教えてくれました。
自分が毎朝唱える天津祝詞も、
自然と同じように、
日々の小さな“濁り”をそっと洗い流してくれる存在です。
そして、人と人とが奏でる拍手や柏手もまた、
明るく楽しい「清め」のひとつ。
あなたの日常にも、
言葉や音、光を通して心を整える瞬間があるかもしれません。
昨日の雷を思い出しながら、今日からひとつ、そんな小さな習慣を試してみませんか。
今日も佳き日に
コーチミツル
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