生活していると大小問わずいろいろな課題・問題が起こり、判断に迷うことがあります。
良くあるのは、自分のことや身内のことで何か課題・問題が起きた時にどうするのかという判断です。
例えば、自分の進路を決めるタイミングであったり、家族のそれであったり…。ただ、この問題は当事者としての真剣な判断ができるので、比較的間違いのない判断ができるかなと思います。
では、自分が当事者的な状態でない場合はどうでしょうか。
例えば、道端で人がうずくまっておられたり、重い荷物が運べずに困っている人を見つけた時、貴方は、どうするでしょうか。
記憶の残る中で自分は、高校時代に始まりこれまでの間、
たまたま居合わせたところで急病人が出て救急車を呼んで誘導したり、交通事故現場に通りかかって、救急車が来るまでの対応をしたりと、5回ぐらいはそのような場面に遭遇したことがあります。

私のこれまで遭遇した頻度を、貴方はどう思われるでしょうか。
多いと思いませんか?くないですか?おそらくそのような状況にあったことのない方が多いのではないかと思います。
時々思い出した時に振り返って、なんでこんなに遭遇するのだろうと思いますが、確率はかなり低く答えとしては”たまたま”ということになるかなと思います。
そこで、敢えて”たまたま”という答えではなくて、違う答えを導くとすれば、それは・・・
“試されている”
のではないのかなと思うのです。ただ、それがどこの誰に試されているのかは、わかりません。笑
実は今日も、
これまでのように命に関わるようなことではないですが、試されている感覚の場面がありました。
今日午後からイベントがあり、会場から少し離れたそこまで大きくはない駐車場を見つけました。そして、電動ストッパーのある枠の中に車を入れたときに、70代くらいのご婦人が出庫手続きを済ませて、自分の車を出されようとされていました。

自分はその状況を景色のように見ていたので気づかなかったのですが、同乗していた家族が、「さっきの方、駐車場から出られないみたい。」と言ったので、車の方を見てみると、奥の袋小路から動けない状況でした。
自分の目からみたら、そこまで大変な場面ではないように見えましたが、それでもと思いご婦人に声をかけたところ、かなり困っておられたことがわかり、運転を替わって出やすいところまで移動しました。
その後は挨拶もそこそこにイベント会場に向かったわけですが、この場面も“試されている”のに相応しい状況だったと思います。
そして、これまでは誰でも気づきそうな状況の中での判断でしたが、今回は、引っ掛け問題のようになかなか気付けないような”試され問題”でした。笑
自慢話に聞こえたら申し訳ないです。
ただ、自分の気づきとして、説明するのに必要かと思いその経験をお伝えしました。
最近は、自分もですが、スマホばかりに目をやってしまい周りのことに気づかないこともあるかとは思いますが、これからも自分の感受性のアンテナを高くして小さな親切でも良いので、実行できればなと思います。
もしかしたら、自分の中にある”良心”が我々を試しているのかもしれませんね。
今日も佳き日に
コーチミツル