
畑に立つと、一面の草。
腰の高さまで伸びた稲科の雑草に囲まれ、歩くのもやっとの状態でした。
正直に言えば、憎らしい気持ちが込み上げます。
自分が種を蒔き、育てようとした野菜はうまく育たず、蒔いてもいない雑草ばかりが元気に茂っているのですから。

草に負けたインゲン、草の中で踏ん張った大豆
今年はインゲンと大豆を育てていました。
インゲンは完全に草に負け、姿すら見えなくなってしまいました。
それでも、大豆は草に埋もれながらも、なんとか鞘をつけてくれました。
収量はわずかで、実入りも悪く、大きな豆はカメムシに食べられていましたが、「草の海」の中で残ったのは確かに大豆でした。

思えば、この大豆は亡き親父が通っていた種物店で量り売りしてもらったもの。
一方のインゲンは、ホームセンターで手に入れたもの。
偶然かもしれませんが、その違いもまた象徴的に感じられます。
雑草はなぜ強いのか
雑草は自分が蒔いたわけではないのに、毎年必ず顔を出します。
これは、長い時間をかけてこの畑や土地の環境に適応してきたからこそ。
その強さゆえに、どんな年でもたくましく育つのだと、改めて気づきました。
一方で、大豆の根には小さな粒々――根粒菌がしっかりと付いていました。
たとえ草に埋もれても、大豆は土に窒素を与え、次につながる仕事をしてくれていたのです。

自然栽培が教えてくれたこと
ナスやキュウリ、ピーマンは雨不足と草の勢いに押され、ほとんど実を結びませんでした。
ミニトマトが少しだけ収穫できただけです。
自然に任せることの大切さと同時に、必要なときには最低限の「手助け」も欠かせないのだと実感しました。
そして、雑草の強さと、大豆の粘り強さを見比べながら、自分にこう問いかけています。
「自分は、この環境にどう適応して生きていくのか」
「そして、草に埋もれながらも実を残した大豆のように、自分はどんな役割を果たせるのか」

育てようとしたものがうまくいかず、思いがけないものが残ったとき――
そこから何を学び取りますか?
今日も佳き日に
コーチミツル
自然栽培 #家庭菜園 #大豆 #雑草との向き合い方 #土づくり #親との記憶 #農から学ぶ