
前回、広島旅の翌日に、筋トレも草刈りもサウナもやめたことを書きました。
楽しく満たされた旅のあと、身体は思った以上に疲れていました。
朝からだるさがあり、咳も出ていました。
以前の自分なら、少し無理をしてでも動いていたかもしれません。
筋トレに行く。
草刈りをする。
サウナで汗をかく。
何かをすることで、前に進んでいる感覚を得ようとしていたかもしれません。
でも、その日は違いました。
やめる。
休む。
シャワーを浴びて整える。
その選択をしました。
そして、不思議と「できなかった」という感じではなく、
「今日は整えた」
と思えたのです。
挑戦を心柱として大切にしてきた自分
自分は、これまで「挑戦」という言葉を心柱として大切にしてきました。
その「挑戦」という心柱を軸に、
60代から演技に挑戦すること。
トランペットを再開すること。
ブログを書き続けること。
新しい発信を始めること。
コーチングを学び続けること。
自分の可能性を試してみること。
挑戦は、間違いなく自分を前に進めてくれました。
挑戦していなければ、出会えなかった人がいます。
挑戦していなければ、見えなかった景色があります。
挑戦していなければ、今の自分にはなっていなかったと思います。
だから、挑戦そのものを否定するつもりはありません。
むしろ、挑戦はこれからも大切にしたいものです。
けれど、最近少し感じていることがあります。
もしかすると、自分は「挑戦」を心柱そのものだと思いすぎていたのではないか。
そんな問いが、自分の中に生まれてきました。
挑戦を心柱にすると、休めなくなることがある
挑戦という言葉は、とても力があります。
背中を押してくれる言葉です。
迷っている自分を動かしてくれる言葉です。
年齢や環境を理由に諦めそうになる自分を、もう一度立たせてくれる言葉です。
ただ、その一方で、挑戦を心柱そのものにしてしまうと、少し苦しくなることもあります。
休むことが、後退のように感じる。
やめることが、弱さのように見える。
立ち止まることが、挑戦していない自分のように思えてしまう。
本当は身体が疲れているのに、
「ここで休んではいけない」
と思ってしまう。
本当は咳が出ているのに、
「少しくらい無理をした方がいい」
と思ってしまう。
でも、それは本当に挑戦なのか。
自分の命や可能性をすり減らしてまで動き続けることが、
本当に自分の大切にしたいことなのか。
そう考えた時、少し違うような気がしたのです。
挑戦は、心柱ではなく枝や葉だったのかもしれない
心柱とは、何でしょうか。
自分はこれまで、心柱を「自分の中心にある大切なもの」とこれまでの8年間考えてきました。
もちろん、それは間違いではなかったと思います。
今までの自分にとって、挑戦はとても大切な言葉でした。
でも今は、少し見え方が変わってきました。
挑戦は、心柱そのものというより、
心柱から伸びる枝や葉のようなものだったのかもしれません。
枝や葉は大切です。
外に向かって伸びていく力です。
光を受け、風を受け、成長していく姿です。
でも、その枝や葉を支えている根があります。
その根にあるものは、
「挑戦しなければならない」
という義務ではないのかもしれません。
もっと静かなもの。
もっと奥にあるもの。
人の命や可能性が輝くことを願う気持ち。
そこに近いのではないかと思うようになりました。
願いがあるから、挑戦する
「人の命や可能性が輝くことを願う。」
この言葉は、今の自分に少ししっくりきています。
赤ちゃんを見ると嬉しくなる。
庭の木を見ると心が落ち着く。
畑の芽が出ると嬉しくなる。
生花を見ると、そこに命の気配を感じる。
交通事故に遭遇した時、高校生の頃、チラシ配りの訪問先のおじいさんの体調が急変した時も
知らぬ間に体が動き出したこともありました。
人が本来の力を取り戻していく姿。
少しずつ前を向いていく姿。
自分らしさを思い出していく姿。
そういうものに、自分は心が動くのかもしれません。
だとすれば、挑戦はその願いを形にする行動の一つです。
人の可能性が輝くことを願うから、コーチングをする。
自分の可能性も試したいから、新しいことに挑戦する。
命がより良く動き出す瞬間に関わりたいから、学び続ける。
誰かの小さな一歩を応援したいから、発信する。
つまり、挑戦が先にあるのではなく、
願いがあるから挑戦が生まれる。
そんな順番なのかもしれません。
休むことも、願いに沿った行動だった
そう考えると、休むことの意味も変わってきます。
休むことは、挑戦をやめることではありません。
挑戦から逃げることでもありません。
挑戦できる自分に戻るために、整えることです。
自分の命や可能性を大切にするなら、
疲れている身体を無視し続けることは違うのかもしれません。
咳が出ている時に無理をして、さらに悪化させることは、
自分の可能性を輝かせる行動ではないのかもしれません。
自分を粗末にしてまで進むことが、挑戦ではない。
むしろ、自分を整え、また動き出せる状態に戻すことも、
挑戦を支える大切な行動なのだと思います。
休むことは、挑戦の反対ではない。
休むことは、挑戦を支えるもの。
そう思えた時、少し心が楽になりました。
心柱とは、自分を支える中心のようなものです。
五重塔の真ん中にある心柱のように、
東京スカイツリーの中心にある構造のように、
外側が揺れても、中心で支えてくれるもの。
それは、外に掲げるスローガンというより、
自分の中に静かに立っている軸なのだと思います。
何かに迷った時。
自分を見失いそうになった時。
無理をして頑張りすぎている時。
その中心に戻ることで、
「自分は本当は何を大切にしたいのか」
を思い出す。
それが、自分にとっての心柱なのかもしれません。
心柱は、頑張るための旗ではない
心柱は、頑張るための旗ではないのかもしれません。
「もっとやれ」
「もっと進め」
「休まず挑戦しろ」
そうやって自分を追い立てるものではない。
心柱は、むしろ自分を見失わないための中心です。
無理をしている時に、
「本当に大切にしたいことは何か」
と問い直す場所。
迷っている時に、
「自分は何を願っているのか」
と立ち返る場所。
頑張る時も、休む時も、
その奥にある願いとつながっているかを確かめる場所。
それが心柱なのかもしれません。
挑戦を否定せず、願いに戻す
今回、自分の中で大切だったのは、
「挑戦は違っていた」
と否定することではありません。
挑戦は今も大切です。
ただ、挑戦を心柱そのものにしてしまうと、
休めない自分になってしまうことがある。
だからこそ、挑戦の奥にある願いに戻る。
何のために挑戦するのか。
何を大切にしたくて動くのか。
何を願って、自分は一歩を踏み出すのか。
そこに戻ることが必要なのだと思います。
自分にとって、その願いは、
人の命や可能性が輝くこと。
そして、その中には自分自身の命や可能性も含まれています。
人の可能性を大切にしたいなら、
自分の可能性も大切にする。
人の命の輝きを願うなら、
自分の命も粗末にしない。
その意味で、休むこともまた、心柱に沿った行動だったのかもしれません。
心柱は、挑戦を支える願いだった
挑戦は、これからも大切にしたい。
でも、それは自分を追い込むためのものではありません。
自分を証明するためだけのものでもありません。
心の奥にある願いを形にするためのもの。
人の命や可能性が輝くことを願うから、挑戦する。
その願いを大切にしたいから、整える。
また動き出せる自分でいたいから、休む。
そう考えると、心柱は「頑張るための旗」ではなく、
「挑戦を支える願い」だったのかもしれません。
この気づきは、まだ途中です。
でも、今の自分にとっては、とても大切な問いになっています。
あなたの挑戦は、何かに追われるためのものでしょうか。
それとも、心の奥にある願いから生まれているものでしょうか。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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