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子供のころには、食事の前に手を合わせて”いただきます”と”ごちそうさま”をしていたと思いますが、最近いかがでしょうか?
「いただきます」は、身分の高い人から物をもらう際に、敬意を表しその物を頭上に高くささげるような動作をしたことから、「もらう」の謙譲語としても使われるようになったそうです。また、それが食物だったときなどに「食べる」「飲む」の謙譲語として「いただく」が用いられるようになったそうです。
一方で、「ごちそうさま」は、ごちそうさまの漢字は「馳走」で「馬で走りまわる」という意味です。いつでもどこでも食材が手に入る現代と違い、昔は食材の調達といえば、馬で走りまわって集めるほどの大仕事でしたのでそんな食材で作る料理を、敬語の「御」をつけて御馳走様(ごちそうさま)となったそうです。
禅宗では、食事を作ることも食べることも坐禅と同じように大切な修行とされています。
普段あまり意識はしていませんが、人が生きるためには食事をとらないといけません。その食材は植物や穀物、動物などの命が犠牲になっています。また、「ごちそうさま」のところでも触れましたがその食事を作るために野菜を作る人、家畜を育てる人、食材を加工する人、調味料を作る人、料理を作る人などたくさんの人の力や「気持ち」がかかわっています。
そんな食材の命や人の気持ちをしっかりと自分の身体に置き換える意味での食事と考えると自然と感謝の気持ちが出てくるようになると思います。確かに味覚も人それぞれでありますし、自分の口に合わない場合もあるとは思いますが、食材の命や人の気持ちに変わりはありません。
将来自分の血肉となる食事に対して感謝の気持ちを言葉に表すというのは大切なことですし、単なる挨拶としての言葉だけでなく自分の感謝の気持ちもしっかり乗せて実践したいと考えています。
誰よりもずっと付き合う大切な自分の身体のために「(命と気持ち)いただきます」「(命と気持ち)ごちそうさま」を意識してみてはいかがでしょうか。
今日も佳き日に
コーチミツル