
前回は、30年前に学んだ公共経済学の話から始めました。
自由には限界がある。
強さは悪ではなく、向きが問われる。
今日はその話を、
もっと身近な場面に引き寄せてみます。
6人で5つのお菓子
6人いて、5つのお菓子がある。
こういう状況、子どものころだけでなく、
大人になってからも似た場面はあります。
会議の時間。
町内会の役。
家族の中のちょっとした負担。
「誰かがやれば回る」
その“誰か”が、いつも同じ人だったらどうでしょう。
自分は、どちらかと言えば譲るほうかもしれません。
たとえ大好物でも、「いいよ」と言う可能性は高い。
でも、正直に言えば、
少しもやっとすることもあります。
このもやっとは、わがままでしょうか。
フリーライダーという構造
フリーライダー(無賃乗車)という言葉があります。
簡単に言えば、
みんなで負担して成り立っている仕組みの恩恵を受けながら、
自分はその負担を引き受けないこと。
ここで大事なのは、
それが必ずしも「悪意」から生まれるわけではないということです。
人は基本的に合理的です。
- できれば負担は少ないほうがいい
- できれば得をしたい
- できれば楽をしたい
それは自然な感覚です。
だからこそ、
善意だけで仕組みを回そうとすると、
偏りが生まれます。
優しさは無限ではない
譲ることは、美しい行為です。
その場の調和を守る。
誰かを喜ばせる。
でも、それが固定されるとどうなるか。
- いつも同じ人が動く
- いつも同じ人が我慢する
- いつも同じ人が黙る
すると、優しさは少しずつ削られていきます。
疲れるのは、
優しい人からです。
これは、個人の問題というより、
構造の問題です。
「我慢」が全体最適とは限らない
ここで考えたいのは、
全体がうまく回っているように見えても、
その裏で誰かが消耗していないか、ということ。
我慢は、短期的には丸く収まります。
でも、長期的に見れば、
信頼は弱っていきます。
全体最適とは、
誰か一人の自己犠牲で成立する状態ではありません。
全体として持続できる状態です。
ルールは冷たいものではない
ではどうするか。
ここで必要になるのが「ルール」です。
順番を決める。
役割を交代する。
見える形にする。
ルールは、人を縛るためではなく、
優しさを守るためにあります。
善意に頼るだけではなく、
構造を整える。
それが、自由を守るということかもしれません。
自分に問いかける
自分は、譲るほうかもしれません。
でも、
それは納得して譲っていますか。
それとも、空気に流されていますか。
この問いは、
小さな日常の中にあります。
そしてこの問いは、
もっと大きな構造にもつながっています。
次回予告
第3回は、
なぜ協力が揺れるのかを
「囚人のジレンマ」という視点からやさしく見つめます。
この言葉が、必要な人に、必要な時に、届きますように・・・
今日も佳き日に
コーチミツル
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