191.師匠の前で吹くということ ― 緊張と“成超”の道

「成長」ではなく「成“超”」を目指す

トランペットを続ける中で、自分が求めているものは「ただうまくなること」ではないと気づきました。
うまくなること=成長ではありますが、それはどこか“地続き”のような感じもします。
でも、自分が本当に体感しているのは、「ある日突然、これまでの自分を越えるような瞬間」。
それは、“成長”ではなく、“成超”とでも呼びたくなる感覚です。

今、自分には2人の師匠がいます。
そして、そのおふたりの存在が、自分を確実に“超えさせてくれる”と感じています。


本番のような緊張:師匠の前で吹くとき

人前で演奏することは緊張します。
でも、師匠の前で吹くときの緊張感は、また別格です。
それまでできていたことが急にできなくなる。指がもつれる、音が震える、自分の音が聞こえなくなる――。

これはもう、本番のような感覚。
いや、もしかするとそれ以上かもしれません。
なぜなら、そこには“見抜かれる”という怖さがあるからです。

でも、その緊張感の中で自分と向き合うことで、自分の限界を一つずつ越えていける。
それが、“成超”への入口なのだと思います。

熱田修二師匠と“気づかせる成超”


出雲で日ごろからお世話になっている熱田修二師匠は、「本番重視」の教え方です。

常日頃から、100回の練習より1回の本番と言われています。
演奏の技術を細かく指導するのではなく、本番で吹いた自分の演奏をもとに、「どうだった?」「次はどうする?」と、自分で気づかせてくれます。

師匠の前で吹くことは、演奏を“評価される”ことではなく、“内省する場”であるように感じます。
その場に身を置くことで、自分の視野がひらき、演奏だけでなく、ものの見方まで変わっていく。
これもまた、“成超”のプロセスなのだと思います。

河村貴之師匠と“自然体の成超”


広島で時折お世話になっている河村貴之師匠は、まさに「自然体」の人です。
その音、佇まい、アドリブ――すべてが無理なく、渋みのある芯のある演奏です。

先日、広島でハーフタンギングやゴーストタンギングについて教えていただいたとき、師匠はこう言いました。
「すぐにできなくてもいい。意識を持ち続ければ、ある日“腑に落ちる”時が来る」

この“腑に落ちる”瞬間もまた、“成長”ではなく“成超”。
頭でわかっていたことが、カラダに宿る――そのとき、ひとつ自分を越えていると実感します。


独学では越えられなかった“壁”

以前「独学 vs 習うこと」というテーマでブログを書きました。
独学には、自分のペースで自由に学べるという良さがあります。
でも、師匠という存在がいることで、自分では気づけない“壁”を照らしてもらえることがあります。

「ここまでは自分で来た。でも、ここから先は……」と感じたとき、師匠の言葉や眼差しが、次の段階へと導いてくれました。
それは、スキルというより「自分のあり方」を越えていくきっかけ。
“成長”を重ねた先に、ある日“成超”が待っている――そう実感しています。

今日も佳き日に

コーチミツル

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