205.“道”を歩むということ (新しいことへのつながりの予感)


まだ見ぬ新しい道への一歩

この7月から、週に2回の夕方、自分のための時間を持つことにしました。
これまでとは少し違う、新しいことにチャレンジしてみようと思っています。

実はまだ、何かができるようになったわけではありません。
まだ始めてもいないし、うまくいくかもわからない。
それでも――
心のどこかで、これまでやってきたこととつながっているような、そんな予感がしているんです。

だから、少しだけ勇気を出して、その一歩を踏み出してみようと思いました。


「道(どう)」という言葉に惹かれる理由

日本には、剣道、柔道、茶道、書道、華道など、さまざまな「道(どう)」と呼ばれるものがあります。
どれも、技術を学ぶこと以上に、心の在り方自分自身との向き合い方が大切にされているように感じます。

ただ“できるようになる”ことだけを目的とするのではなく、
“どうあるか”“どう進むか”を問いかけながら歩いていく。
それが「道」と呼ばれる理由なのかもしれません。


歴史の中で、「術」から「道」へ

調べてみると、もともと、剣術や柔術などのように「術(じゅつ)」と呼ばれていたものが、
江戸時代を経て、「道(どう)」と呼ばれるようになってきたと知りました。

術は、戦うため、勝つための技。
道は、生き方そのものを整える学び。

明治時代以降、「道」は人格を育てるものとして、教育にも取り入れられました。
今では多くの人にとって、「道」は一部の人以外は“何かを極める”ことではなく、
“日々を丁寧に生きる姿勢”のようなものになっている気がします。


コーチングや音楽も、自分にとっての「道」

自分がこれまで取り組んできたコーチングやトランペットも、まさに「道」だと感じています。
どちらも終わりがなく、深めれば深めるほど、自分の心と向き合う時間が増え思い悩むことになる。

  • 相手の声に耳を澄ませること
  • 自分の音に感情を込めること
  • 上手くいかない日も、諦めずに続けてみること

今回の新しいチャレンジは、分野こそ違えど、
こうした「向き合う姿勢」が、どこかで重なる気がしているんです。
まだ確信ではないけれど、予感として、感じていることです。


まだ始まっていないけれど、始まりの中にいる

新しいことを始めるとき、不安もあるし、自信が持てないこともあります。
でも、ふと感じる「これまでとつながるかもしれない」という感覚が、
そっと背中を押してくれる気がします。

まだ何も始まっていないけれど、
もう「道のはじまり」には立っているのかもしれません。

これからも、自分のペースで、心を整えながら、
一歩ずつ“自分の道”を歩んでいけたらと思います。

いつか、今回の道についてもお話しできたらと思います。

今日も佳き日に

コーチミツル

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