198.「自分なんて…」と思ったあの頃 ― 妬(ねた)み・嫉(そね)み・僻(ひが)みと向き合って

心がザワつく、あの瞬間

誰かの努力が報われたとき、
「よかったね!」と素直に言いたいのに、
なぜか胸の奥がザワザワしてしまう——

そんな経験はありませんか?

成功を祝う気持ちと、
「置いていかれたような」不安や焦りが同時に湧いてくる。
今回は、そんな感情と向き合った自分自身の体験を書いてみたいと思います。


蓋をしていた3つの感情

以前のブログ(▶ 107. 蓋(ふた)をしていた3つの感情)では、
自分の中にしまいこんでいた「妬み・嫉み・僻み」という感情について触れました。

あのときは、それが自分の心の奥にあったことすら気づいていませんでした。
でも、一度気づいてしまうと、今までのいくつかの出来事が、少し違った意味を持って見えてきたんです。


吹奏楽コンクールで感じた「嫉(そね)み」と「僻(ひが)み」

学生時代、吹奏楽コンクールで他校の演奏を聴いたときのこと。
同じトランペットのパート。年齢も同じ。
それなのに、音の深さも、表現も、段違いでした。

「すごいな」と思う一方で、
「自分はまだまだだ」と、悔しさや焦りが込み上げてきたんです。

今思えば、それが**嫉み(そねみ)**だったのだと思います。
相手に向けた怒りではなく、自分への情けなさや、劣等感。

そしてそのうち、
「どうせ自分には無理かもしれない」
「きっと才能が違うんだ」
そんな風に、自分をあきらめるような気持ちになっていたこともあります。

それがきっと、**僻み(ひがみ)**だったのだと、今は思います。


同年代だからこそ、受け入れづらかった

不思議なもので、もし相手がプロの演奏家だったら、
「すごいな」「目標にしよう」と素直に思えた気がします。

でも、同じ年代、同じ舞台に立っている人だったからこそ、
その差を受け入れるのが難しかった。
自分が劣っていることが、現実として突きつけられたように感じたんだと思います。


僻(そね)みで終わらせず、模範に変えたとき

ただ、あるときふと思い直しました。

「この演奏、模範にして練習してみよう」
そう思って、フレーズを真似し、音の響きをまねて、息の使い方を研究してみた。

すると、明らかに自分の音が変わってきたのです。

あの時、「どうせ無理」と僻(そね)んで終わっていたら、
この変化はなかったと思います。


感情は、成長の入口かもしれない

妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)。
どれも、決して“良い感情”とは言われません。

でもそれは、心が動いている証拠であり、
本音のサインなのだと、今では思えるようになりました。

心理学では、こうした感情に名前をつけて認識するだけでも、
脳が落ち着き、冷静になれることが分かっています。
また、キャロル・ドゥエックの「成長マインドセット理論」では、
他人の成功を学びに変えることが、自分の成長を促すとされています(Dweck, 2006)。

さらに、fMRI研究によれば、
他人の成功を喜んでいるとき、脳の報酬系が活性化し、幸福感が増すことも報告されています(Morelli et al., 2014)。


自分もまた、誰かの模範になれるように

今、あのときの気持ちを振り返って思うのは——
嫉み(そねみ)や僻み(ひがみ)で終わらせず、模範に変えたことが、自分の糧になっているということ。

もしかすると、誰かの上手さに悔しさを感じている今の若者が、
自分の演奏を真剣な眼差しで聴いてくれているかもしれない。

そう思うと、今日の練習にも、ちょっとだけ背筋が伸びます。

今日も佳き日に

コーチミツル

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