117.神社掃除はココロを整える

今日は朝7時から、氏神さまである眞名井神社の掃除に参加してきました。


実際には7時前には皆が集まっていて、誰が指示するわけでもなくそれぞれ竹ぼうきや熊手を手に、枯葉や小枝を集めたり、雑草を抜いたりと、黙々と境内を整えていきます。今朝は明け方に雨が降っていてどうなるかと思いましたが、始まるころにはすっかり止み、合羽も必要ないくらい。なんだか、日ごろの行いが試されているような朝でもありました。掃除が終わるころ、見上げた空はすっきり青空、神社の空気は格別に澄んでいました。

神社の空気はなぜ清々(すがすが)しいのか


神社に行くと、空気感が違う。呼吸が深くなる。そんな感覚を持つ方も多いのではないでしょうか。

その理由の一つに、神社の多くが鎮守の杜(ちんじゅのもり)の中にあるという点があります。日本において、神社(鎮守神(ちんじゅのかみ))に付随して境内やその周辺に、神殿や参道、拝所を囲むように設定・維持されている森林であり、木々から発せられる「フィトンチッド」という成分は、空気を清浄にし、私たちの自律神経を整える効果があると言われています。

また、こうした自然に囲まれた静かな場所にはマイナスイオンも多く、ストレスの緩和やリラックス効果があることも、研究でわかってきています。

そして何より、神社の持つ静けさや整えられた空間の美しさが、私たちのココロを自然と整えてくれているのだと思います。

掃除による“すっきりダブル効果”とは?


掃除をすると、頭もココロも不思議と軽くなる。これは気のせいではなく、脳や心の仕組みによって説明ができることなのです。

1つ目は、掃除をするとドーパミンが出ること。達成感や環境が整うことで、脳の“報酬系”が働き、気分がすっきりするのです。

2つ目は、無心になって掃除に集中することで、自然と「今ここ」に意識が向きます。これはマインドフルネスとも呼ばれ、雑念が消えてココロが落ち着く状態を生み出してくれます。

この“ダブル効果”があるからこそ、神社の掃除は単なる奉仕作業ではなく、自分自身を整える行為でもあるのだと感じています。

自分の意志で選ぶ「禊ぎ(みそぎ)」


「禊ぎ(みそぎ)」という言葉は、古来より神様に近づく前に身を清めるための儀式として親しまれてきました。しかし、現代の私たちにとって禊ぎは、押し付けられるものではなく、むしろ自分の意志で選び、自らのココロと体を整えるための自由な行為として捉えることができます。

実は先日、亡き母の四十九日を終えて、海へ潮を汲みに行く機会がありました。海辺に立ち、波の音に耳を澄ませながら潮を汲むあの瞬間は、まさに自分自身で選んだ禊ぎのひとときでした。伝統的な意味での「禊ぎ」だけでなく、ココロの奥底から浄化される感覚で、それは誰かに強制されるものではなく、自分で求めたココロのリセットなのです。

同じように、神社掃除もただの慣習や義務ではなく、自分自身のために選んだ、ココロを清める儀式のような時間となっているようにも思います。

神社の杜(もり)と掃除のダブル効果でココロが整う


最近では、この神社掃除も参加者が少しずつ減ってきているように感じます。忙しい毎日の中では、わざわざ朝早くに神社へ行く余裕もないかもしれません。

でも、もし少しでも「気分が晴れない」「なんとなく疲れている」と感じることがあったら、試しに一番近くの神社の掃除に行ってみてはどうですか。

最初は恥ずかしいかもしれませんが、宮司さんに声をかけても良いですし、近くに住んでいる人に訊いてもいいかもしれません。箒を動かすだけで、ココロが少し軽くなる。空を見上げて深呼吸したくなる。そんな時間が、きっと待っています。

掃除で境内がきれいになると同時に、自分の内側にも静けさが広がっていく。そんな感覚を、たくさんの人と分かち合えたら嬉しいです。

もちろん神社の鎮守の杜の力と掃除をするときの報酬系とマインドフルネスのダブル効果が期待できますし、なにより、神社にお願いをするときだけに来る人より神様も絶対歓迎してくれること間違いなしです。(笑)

今日も佳き日に

コーチミツル

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