
美空ひばりさんの有名な歌に、「川の流れのようにおだやかに身を任せる」
といった歌詞がありますが、今日のテーマはその歌とは違って、今日ふと感じたことをフレーズにするとこんな感じかと思い使ってみました。
どういうことかというと、先日YouTubeで、昔の日本の時計と今の時計の違いの話をしておられて、昔の日本の和時計は針が動かずに文字盤が動いていたということを話されており、ちょうど文字盤の動きが、人生においての過去、現在、未来を表すことを考えたときに川の流れが近いのではないかと思ったからです。(ややこしいですね)
例えば、貴方が小さな清流の少し流れの速い川の中に入って立っているとします。
そして、今貴方が川上に向かって立っていたとすると、立っている位置が現在、つまり今であり、そこから見て川上が未来、川下が過去と考えてみると、人生で自分が立っているのは今(現在)であって未来でも過去でもありません。
未来は川上から流れてきますが、流れは一定かもしれませんし、雨が降ったら多くなり、干ばつでしたらちょろちょろとなって流れてきます。川上を見るとある程度次来る流れは想像できるかもしれませんが、生きている(立っている)限り川の流れは続いています。
そこで、川上から泳いでくる魚を獲ろうとしてみてください
魚は川の流れに乗ってやってきますので、なかなか思うように獲れないかもしれません。なので、川下を振り返ると獲り逃した魚、つまり、自分の過去が見えます。もちろん、しっかりと獲ることができたら、今、自分の手の中に魚が入っています。
そのようなことの繰り返しが、人生なのかなと、未来は自分に向かって川の流れのようにやってくるけど、自分が素晴らしい獲物に気づかなかったり、気付いても獲り逃したり、諦めたりして獲物を取ることができないこともあると思います。一方で、視野を広く持ち、また、川に網を張る等工夫をすれば、アイディア次第でより多くの魚をゲットできるかもしれません。
もしかしたら、他の人も同じように川の中に立っているのかもしれません。そこは、魚が目の前を多く通る場所であったり、自分の後ろの方に立っていたり、誰かが邪魔をしたり・・・。
その漁を終えて川の中に立つのをやめた時が、人生の終わりなのかなとも思いました。

では、どんな風に川の中に居ればよいのか?
まずは、流されないように足場を今をしっかりとして、自分の感覚を研ぎ澄ましアンテナを高くして川上の動向や流れてくるものを察知し、魚という獲物、いわゆるチャンスをしっかり見つけて捕獲する。もちろん、自分に身に余るような量は獲らずに、他の人も魚を獲れるようにする。周りのみんなと協力して、網を仕掛けることもあるかもしれない。
そういう気持ちで臨んでおけば、自分の人生も満足が行くのかなあと、なので、足場をしっかりせずに川の流れに身を任せてしまうと、いつの間にか過去の人になってしまうのかもしれないなあと思った次第です。
わかりにくかったですかねえ。
今日も佳き日に
コーチミツル