358.自分相応でいるという豊かさ(高級を知ることと、気楽さを大切にすることのあいだで)

最近、「高いものを買う意味」について考える機会がありました。
高い服や高い料理を好んで選ぶわけではなく、どちらかといえば自分は気楽なほうが落ち着きます。立ち飲みの店のざっくばらんな空気や、スーパーのお肉を囲んでみんなで笑う時間のほうが、ずっと好きです。

時計だって同じです。
ロレックスのような高級時計を持つ必要はなく、時間が正確で、スタイルが好みであればそれで十分。
服も、派手なものよりも、長く付き合えるオーソドックスなものに自分は安心します。

では、こんな“自分相応な選び方”を続けていていいのだろうか。
それとも、高級な世界をもっと知っておいた方が良いのだろうか。
そんな問いが静かに心の中に生まれました。


高級を知ることは「背伸び」ではなく「視野を広げる」こと

まず、高級な世界を知ることは、決して贅沢をすることではないと思います。
ほんの少しの体験でいい。
一流の料理や丁寧なサービスに触れてみるだけで、心の余裕や、ものの見方が変わることがあります。

体験してはじめて、
「ああ、自分はこういう世界に惹かれるのだな」
「やっぱり自分は気楽な空間のほうが落ち着くな」
と、自分の軸がクリアになります。

重要なのは、“知らないまま避ける” ではなく、知ったうえで “選べる自分” であること。

高級を知る意味は、その選択肢を自分の手に取り戻すところにあります。


自分相応を選ぶことは、決して劣っているわけではない

いっぽうで、気楽な店が好きでも、スーパーのお肉の焼肉が好きでも、それは「安いから選んでいる」のではなく、
自分の心が喜ぶから選んでいる のだと思います。

高級である必要はありません。
大切なのは“自分らしさ”です。

  • 気楽な会話
  • 落ち着く服
  • 好きな時計
  • みんなで笑い合う食卓

これらは、値段とはまったく別の次元の“豊かさ”を運んでくれます。

“自分相応であること”は、決して妥協ではなく、自分を丁寧に扱っている状態です。


高級と気楽さは「どちらか」ではなく「どちらも」

高級を知ることにも意味があり、気楽さを選ぶことにも意味があります。

どちらか一方ではなく、その両方を知ったうえで、自分の心が落ち着く場所を選ぶ。
それが、自分の人生を“自分のものとして生きる”ということなのだと思います。

たまに高級を味わって、普段は気楽で、ときどき自然に帰っていく。

そんなバランスが、自分にとって一番自然なのかもしれません。


最後に、読者への問いかけ

あなたが「自分相応だ」と感じる選択には、どんな背景がありますか?
そして、もしまだ知らない世界があるとしたら、どんな一歩を踏み出してみたいでしょうか。

今日も佳き日に

コーチミツル


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