※老人の「老」という字には、人生の先達、知恵者といった尊敬のニュアンスがあります。

どこかの小説の題名のようですが、
今日、墓参りからの帰りに題名のような幼児と老人を観る機会がありました。
どういうシュチュエーションかと言いますと、畑道を3歳くらいの男の子と70代後半のおじいちゃんとの夕方前の散歩に私が遭遇した感じです。
私との距離は30mくらいありましたので、会釈程度の挨拶でしたが、少し気になったので2人を観ていました。
と言ってもほんの数秒くらいの観察でしたが、幼児は自分の歩調が速すぎないか、おじいちゃんが遅れていないかを気にするように後ろを振り返りながら少しゆっくりめに、おじいちゃんは孫が慌てて転けないように案じながら歩いているように観てとれました。
本当に気持ちの良い瞬間でした。
2人の年齢差は70歳は違いますが、互いに相手のことを思って行動している…。今は核家族化になりこのような場面には遭遇することは少なくなりましたが、やはり、人間の成長と老いはさけることができません。
昭和の頃は、3世代が住んでいる家族は沢山ありましたが、令和の時代は、親子世代のみ、それも、子が社会に旅立てば、残された親のみになります。
今日見た幼児と老人は、お互いの過去と今をわかっていて、
それに合わせて互いに思いやりながら生活されているんだなあと、この先もきっと分かり合っておられるのだろうと思いました。
お互いがずっと一緒に生活することは気も使いますし、大変なことも多いと思います。人数が増えれば増えるほど考え方も違うし大変なことが多いと思います。
ですが、人間は1人では生きていけません。お互いの特徴を自然に把握して弱いところはフォローしながら強みはみんなのために使う、今日の幼児と老人のように生きていきたいと思いました。

今日も佳き日に
コーチミツル